0469名無しさん@1周年
2018/02/12(月) 16:24:52.27ID:+NJ1XmCk0海外の文献と突合せると、『宋史』日本国伝(『宋史』491卷 列傳第250 外國7日本國)では
「?瀲第四子號神武天皇 自築紫宮入居大和州橿原宮 即位元年甲寅 當周僖王時也」とあり、即位は周の僖王(紀元前681〜677年)の時代の甲寅が即位元年とする。
ともあれ『日本長暦』に大きな修正を加える理由も無く、以後「辛酉年」は紀元前660年に相当する年に同定することが定着し、王政復古後の政治・思想状況の中で前述のように規定されることとなった。
以上のような、紀元前660年を神武天皇即位紀元とした記紀の記述の神話学的な分析として古いものとしては、1870年代初期に歴史学者の那珂通世が、
『日本書紀』はその紀年を立てるにあたって中国の前漢から後漢に流行した讖緯説を採用しており、
推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年(辛酉年)から1260年遡った紀元前660年(辛酉年)を、大革命である神武天皇即位の年として起点設定したとの説を立てた。
これは隋の煬帝により禁圧されて散逸した讖緯説の書(緯書)の逸文である『易緯』の鄭玄の注に、干支が一周する60年を1元といい、
21元を1蔀ぼうとして算出される1260年(=60×21)の辛酉年に、国家的革命(王朝交代)が行われる(辛酉革命)ということに因む。