>>272
はいはい整理してみましょう

--------------------------------------------------
1951年10月19日
衆議院特別委員会、西村熊雄外務省条約局長
(講和条約で)放棄した千島列島に南千島(国後・択捉島)も含まれるとの答弁。
同じ答弁の中で、歯舞群島・色丹島は北海道の一部であり千島に含まれないと発言。

1956年2月11日
衆議院外務委員会、森下國雄外務政務次官
クナシリ・エトロフはサンフランシスコ条約で日本が放棄した
千島に含まれないと答弁。 
以後、これが政府統一見解になる。
--------------------------------------------------

サンフランシスコ講和条約後5年でこの「変節」
変節した理由は明確で日ソの国交回復交渉で「名目」ハードルを上げただけ
名目のハードルがいつしか実質になってしまったのが現在という茶番状態