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禁止論者が大麻の悪害を言い立てるために
「大麻は無害?それは真実ではない」
 という枕言葉で始まる記事や解説などは定番化して至るところで見かけられる

では、いったい誰が無害論を唱えているのだろうか?

現在の合法化反対派の人たちは、害の基準を「無害」において大麻の有害性を糾弾する
だがかつて大麻に対する禁止法が浸透していった1930〜50年代の基準は全く違う。

当時はマリファナが強力な麻薬で手のつけられないような倒錯した行動を引き起こすと宣伝され、暴力犯罪や中毒者があふれ、社会が脅威にさらされ、
世の中が破滅すると叫ばれた。
WHOの55年の報告書によると、「カナビスの影響下では衝動的な殺人が起こる危険が非常に高く、冷血で、明確な理由や動機もなく、事前に争いもなく、たとえ全く見知らぬ他人でも快楽だけで殺してしまう。」 

この報告の6年後、最初の国連会議が開催され、大麻は国際的に禁止されることになった
禁止論の根拠は、他人に対しても「圧倒的な害がある」という基準で、単に自分の健康を害するとかいう程度のレベルではなかった

現在では、合法化反対派すら、かつてのような誇張は大げさだったと認めざるを得なくなって久しい。
WHOさえ40年後の95年時点で既に「カナビスはアルコールに見られるような暴力による被害を引き起こすことはほどんどない」とした。

そこで禁止論者が出してきたのが害の基準の変更だった。
圧倒的な有害基準を臆面もなく完全無害基準に置き換え
ごく僅かなリスクを誇張し、時にはそこに巧妙に捏造も混じえて大麻は有害だと主張するのが常套になった。

また、大麻にはそれほど害がないことから、他の大きな害のあるドラッグと無理矢理結びつける
「踏石論」や「ゲートウェイセオリー」を発明し、大麻には害が少なくても踏石になるとして害を言い立てるようになった。
禁止法制定当時には、踏石論の主張など全くなく、寧ろ取締りを担う役人は公の場でそれを否定していた
やがて大麻では自他に大きな害にはならないことが公衆に知られるようになって意図的に踏石論を発明し
基準を暗黙のうちに変更した


素朴な大麻無害論を言う人がいるとすれば、おそらくその多くは、禁止論者が主張しているような害は無いことを知った若者なのではないか? 
禁止論の主張と自らの経験とのあまりの落差に憤りを感じ、振り子が反対に振れるように「無害」だと反発する
うがった見方をすれば、禁止論者にとって無害論は格好の標的になる
「無害論」を必要とする彼らは、結果的に、あえてそれを言わせるように強烈な害の誇張をする事で若者たちを誘導しているのではないか?

合法化反対派は、無節操に害の基準を「無害」に変えるが、アルコールを基準にすることは絶対にしない。
その場で何となく言いくるめることができると思えば全くつじつまが合わない話しでも厭わない。
「無害論」をベースに恐怖を煽ることは、無いことを有ることにして主張を展開する典型的な詭弁の論法の見本と言える。

禁止論者たちの中には、大麻の法規制の対立があるが故に自分の職業や地位や存在が担保されているという一面すらある。
対立がなくなってしまえば、無用になってしまう腐敗行政当局者や似非研究者や、
白々しい嘘を吐く偽善的な評論家などが浮かぶだろう
実際は、彼らにとって大麻は生活の支えになってしまっている。

しかし、そのために悪人とはとてもいえない普通の市民の生活を破壊したり、医療大麻を必要としている患者たちから適切な治療手段を取り上げることが許されていいはずがない。