【考古学】古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「邪馬台国時代に奴国で文字使用」★2
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https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/394877/
福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代とみられる石製すずりの一部が出土したと発表した。
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「奴国(なこく)」の中心部にあり、
市は「邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す貴重な発見」としている。
市埋蔵文化財課によると、出土した石製品は、板状で幅4・7センチ、長さ最大5・4センチ、厚さ0・8センチ。
形状や、表面の磨かれ具合などから、すずりとみられるという。
2016年7〜8月の事務所建設に伴う発掘で見つかり、専門家に調査を依頼して判明した。
筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、朝鮮半島から西日本に広まったとされる。
弥生時代のすずりは、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)や中原遺跡(同県筑前町)など4遺跡で出土しているが、
その後の古墳時代前期(3世紀後半)のすずり出土は国内で初めてという。
比恵遺跡群は、弥生時代に奴国の拠点集落があったとされ、これまでも竪穴住居跡や小銅鐸(どうたく)などが見つかっている。
市の担当者は「奴国が、文字文化もある重要な場所だったことを示す史料になる」と話した。
★1が立った日時:2018/02/17(土) 19:29:05.37
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1518863345/ 纏向遺跡が邪馬台国の有力候補地って言われるけど
言っているのは、発掘した桜井市の橋本さんだけなんだよね
吉野ヶ里にとどまらず、北九州の3世紀の遺跡を全体としてみたら畿内は見劣りする 前スレを総合すると、邪馬台国は九州で、大和朝廷とは別の勢力だったようだな
674 :名無しさん@1周年 :2018/02/18(日) 15:20:26.14 ID:DbD8lBU60
>>667
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」とあり
当時の倭人が文書で品物を確認していたとの記事があるから
文字があるのは邪馬壹國である証拠だよ。
966 :名無しさん@1周年 :2018/02/18(日) 18:43:02.74 ID:LNMXIHLi0
隋書倭国伝の記述は奇妙な点があるんだよね
魏志倭人伝では倭国は鉄の鏃を使用し、>>674にあるように文字も読めていたらしいのに、
数百年後の隋書では骨の鏃を使っていて文字は無しと書かれていて、文明が後退しているようにしか見えない
魏志の倭国と隋書に記された倭国は別勢力(たぶん九州と畿内)と考えないと辻褄が合わない 当時の列島住民は全身に入れ墨を入れてたらしいから、硯ではなく墨液を作る道具だろ。 4世紀に九州王朝が、なぜ海外との交流をしなかったのか?
硯があって、文字が書けて、高い文明があって、なぜ?
海外の書物で成立している王朝は、海外の書物で沈黙している。 >>1
最新の研究によれば、日本人の祖先は韓国人で、卑弥呼もその流れをくむということがほぼ確定しているらしい。
韓国からは優れた技術が伝えられたことが分かっており、文字についても韓国から渡って来た可能性が濃厚だそうだ。
隣国だけあって、やはり日本は韓国と関係が深い > 119 :名無しさん@1周年 :2018/02/17(土) 22:59:38.31 ID:/rv+H4an0
> 魏志倭人伝にある、
>
> 「倭王因使上表答謝詔恩」
> "倭王は、使によって上表し、詔恩に答え謝した"
>
> という一文からも、漢文の読み書きができる人がいたことは
> 確実だからな。
やっぱり魏志倭人伝の頃は文字が読めたんだね
>>8のように隋書の頃には文字がなくなったのは不思議だけど、ぜんぜん違う集団だったと考えれば有り得なくはないかな >>1
最近の学説では、卑弥呼の生まれは韓国ということがわかっている。
稲作も金属加工も韓国からもたらされたものであり、日本の文化の発展に、韓国はなくてはならないものだったようだ 天皇家は南部九州出身だから、北部九州とは別の系統の
ひとたちが近畿ではじめに王朝を作ったのかな。 邪馬台国の場所は特定できてないけどどういう理由で奴国は特定できたんだろう 通訳伴わせて使者送ってんだから当然中国語も漢字も知ってるだろう
一般人の話だろ >>14
いや、そこは疑問だな。
落語に「粗忽の使者」というのがあるけど、江戸時代になっても
使者の基本は「口上」だった。もちろん文書も持参するけど、
それはあくまでバックアップなのだ。
晋書倭人伝にも、魏の文帝の頃にやってきた女王国の使者は
「重譯入貢(通訳を重ねて貢を納めた)」とあって、これも音声による
プロトコルだよね。 >>18
卑弥呼は韓国出身。
その卑弥呼が当時、移動に使った経路や手段は何か?を考えると、簡単に答えは出る。 >>23
韓国という名前の国は無くとも、当時は国があった。わかりやすく韓国と言い換えただけ。 まぁ〜当時は戦に負けると屋敷ごと燃えてしまったから必然的に焚書もなされた訳だ。 竹下通り沿いのあの空き地かね?
だとしたら目と鼻の先やわ そもそも中国との交易は何百年に渡るわけだからな
知らないわけがない 隋とは日いづる天子の件で仲が悪かったんじゃないか。 記紀のエピソードにある天孫降臨
天皇の先祖が「ここから懐かしい韓の国が見える」という由来の韓国岳
いまも九州に実在する日本の名山です >>13
大陸と縄文人の関係はDNAで否定されてなかったか?
弥生人が朝鮮由来だが現在の韓国人とは人種が違う >>28
時代劇で殿様の上意を伝えに行く使者なんかも、
文書を渡しておしまいじゃなくて、上座に立って読み上げるよね。
あれは殿に成り代わって宣言しているわけで、
その言霊があって、初めて強制力が生じるのだ。 >>30
随の記録には聖徳太子も推古天皇も記述がないってきいた
なんと当時の日本は男王だったとか
だれやねん 文字といったら漢字しかなかったからねえ。
中国に取り込まれないために文字の受容を制限してたんじゃないか。 あと日本神話に朝鮮の様子を伺うヒントがある
スサノオは高天ヶ原より朝鮮に降り立ったが毛外の地に要は無いと日本に渡って来た、そしてヤマタノオロチ退治の話に移る >>2
チョンは史的に文盲奴隷
陰口中傷に生きてきた
文字は無用、だからハングルのようなかす文字しか要らなかった >>23
加羅はあったかもしれん。
唐をカラと読むのもその名残。加羅物とは外国産品全般を指す。 しかし、木簡、竹簡が出てきてもよさそうなんだがなあ。 半島に四世紀くらいの石碑があるやんけ(笑)
倭と百済が攻めてきた!とかいうやつ
これもネ卜ウヨの無かった事リスト行きですかな?w >>23
於是詔而此地者向韓國真来通笠紗之御前而朝日之直刺國夕日之日照國也
是(ここ)に詔(の)りたまわく、此地(ここ)は韓國(からくに)に向かひ、笠紗(かささ)の御前(みさき)に真来通(まぎとほり)て、
朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照(ひで)る國なり。 >>44
それはコリアより先に日本が朝鮮に入ってたことを示す史料なんだが。 >>40
まぁ〜どのような漢字を当て嵌めたら妥当かなんて思案したのはおおのやすまろの時代からでしょう?
そらまでは出来るだけ卑しい文字をあてがった。 竹簡木簡が出てこないということは、やはり倭国でも紙が流通して、
紙に書いてたんだろうねえ。
ちょうど三国志の時期は、紙が劇的に普及し始めた時期だし。 >>42
日本語(やまとことば)で「カラ」だと「ハラカラ」「トモガラ」「ヤカラ」「ウカラ」など
の「カラ」だな。共通の性質を持った集団を表す言葉。
これが加羅とつながるかどうかは知らん。 >>46
それとて韓国と言う一つの国は無いわな
三韓なわけだし 日本国内は統合もされてないし方言も多いだろうからな
とてもじゃないが統合された文字なんて作れる段階じゃない
地方だけのドマイナー文字くらいはあったかも知れないが 紙の文献が残ってないってことは徹底的に抹消すべき敵だったのかな
邪馬台国VS大和朝廷が現実味を帯びてきたな >>53
日本書紀で神功皇后を卑弥呼だと比定してるんだが >>8
これは決定的だな
ゴッドハンドで塗り固めた畿内説完全崩壊w >>54
失敬な。
毒女の卑弥呼と違って神功皇后は聖母だってば。
聖母マリアは東方の三賢者が予言したユダヤの王を生み、
聖母神功は住吉三神の導きで八幡神応神帝を生んだのだ。
うんうん。 カンパチ ★ sage New! 2018/02/18(日) 19:01:16.87 ID:CAP_USER9
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/394877/
福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代とみられる石製すずりの一部が出土したと発表した。
遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」 10世紀あたりの唐の時代の地図を見たら、倭と日本が
わかれていたけど、だから向こうのひとは倭と日本が別だと
思ってたということで、たぶん邪馬台国は日本のほうじゃないか
とは個人的には思うけど。
卑弥呼の居た三世紀は西日本は近畿や吉備、出雲などの緩やかな連合体であった。
これは完全な定説であって、異論を唱えるものなど居ない。
しかるに、邪馬台国の命令で北部九州を軍事的に統括していた伊都国は九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があると主張することは、近畿は周辺を軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はもはや学説の体を成して無い。
邪馬台国近畿説は、敢えて反論するまでもなく、立論の時点で崩壊している。
ただのファンタジーw
単に九州倭国と近畿日本の二つの国があったと言うだけのこと。
邪馬台国卑弥呼は親魏倭王の称号を貰っている。
邪馬台国、それに連なる大和朝廷が倭国。 >>58
毒女かどうかは知らないがなんぼ母系文化の影響が強いからといって当時で千人の女官を配下に置いていて呪術を駆使して国を治めていた裸she-から温泉街の女将だったんじゃねーの?
https://m.youtube.com/watch?v=PJmbccnw2Jk 支那と外交関係ある小国は、皆、文字使用してましたが何か。 出雲や尾張、阿波、九州の縄文系勢力がヤマトなど畿内の渡来人勢力を征伐して出来たのが、邪馬台国それに連なる大和朝廷。
四道将軍で関東東北の縄文人を征伐平定したのも彼ら大和朝廷です、 >>62
トヨはそそられるよなあ。
記紀で出てくるのは日向神話で神武の婆ちゃんだけど、
キーアイテムの潮満珠・潮枯珠も含めて伝承が濃いのは周防灘だ。
つまりトヨの国(豊前・豊後)で宇佐神宮の媛大神と八幡神。
>>65
温泉宿は知らんが、「古代史の謎は「海路」で融ける」(長野正孝,PHP新書)では
旅行代理店の女社長という説だった。半島に鉄を買い付けに行く人たちの
ツアーを組んでたんだとw 倭人には文字も暦もない。
魏志倭人伝や隋書倭国伝にそう書いてある。 >>74
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」「倭王因使上表答謝詔恩」 とあり倭人が文字を使ってたとある
隋書倭国伝いは「夷人不知里數但計以日」とあるけど
倭人は文字も暦もないなんて記述はどの文献にも無いな。 >>76
日本書紀では歴史の順序の入れ替えや
同じ天皇を分けたり複数の人物を纏めたり
自由自在に書き換えてありますから
無意味な研究ですね。 >>43
>>49
書かれた文書の数自体がまだ少なかったんだろうな
その内に出るかもしれんな。 >>79
無文字唯刻木結繩 敬佛法於百濟求得佛經始有文字(隋書倭国伝)
訳:
文字はなく、ただ木を刻んだり、縄を結んで文字代わりにしていた。仏法を敬い、百済に仏典を求めて手に入れ、
始めて文字を有した
百済から仏教の経典を入手するまで文字を知らなかったとある
九州では>>1の通りもっと前から文字に触れ使用しているので、畿内と九州は別勢力だったと分かる >>78
有り得んわなw
それよりお釈迦様もキリスト様も奇跡で病人の治療を行っているから温泉に浸かりマッサージと心のリラックスを併用して治療出来れば神として崇められても不思議じゃない。 >>12
朝鮮半島で覇権を巡り高句麗と戦っていた。 高千穂から伊勢へは土佐湾と南紀の沿岸沿いに移動したのだろう
>>55を見て思った
瀬の速い瀬戸内沿岸は操船技術がないと危険だ
昔の地震と津波で太平洋側の痕跡が消えたなら想像することしかできない >>2
日本では中国の華南でしか育成されていない米が出土しているが
朝鮮半島では出土されていない
この事から弥生時代から既に中国との海路が確立されており
朝鮮半島を通らずに交易や文化交流が実在したとされる >>78
懐妊期間も不自然だしね。
仲哀天皇の子じゃないんだろうな。
応神が生まれて誰が喜ぶか?スクナヒコナ。
まぁそういうことなんだろうね。 >>85
これは倭国に文字の伝った過去の事を書いてあると思うんだけど
魏志倭人伝にあるように文字は仏教伝来以前から伝わってたから
隋書倭国伝は誤った情報ですね。 >>92
魏から隋の間に、何らかの理由で漢字文化のリセットが起きたんだろうな >>90
魏志倭人伝に「傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」「倭王因使上表答謝詔恩」 とあり倭人が文字を使ってたとある
2〜3世紀の硯が何個も福岡市周辺で出土してるから
北部九州で文字が使われてたのは確実ですね。 卑弥呼は大陸由来の鬼道の使い手だったから、読み書きも出来たんじゃないか >>88
瀬戸内海航路の開拓が遅かったのには傍証がある。
四国側と山陽側の民俗が違うのだ。
四国側は南九州の文化で、産屋とか生理小屋とか、
やたら単機能の小屋を建てたがる文化。山陽側は北九州の
海人たちの文化。若者宿とかの年齢階梯制が特徴。
ただし神武は吉備に寄ってるから、たぶん山陽陸路なんだよね。
このへん、出発点を日向にしちゃった矛盾がある。 >>91
まぁ〜男の子が生まれたらどーたら女の子が生まれたらこーたら
家に火を点けてなんたら、いろいろあらーなw 中国側の書によれば
倭人は呉の祖の太伯の子孫だと言っていたんでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています