>>197
オマエが慰安婦について学習不足なだけだろ。
以下吉見義明著 従軍慰安婦 岩波新書から
p.140〜
2 慰安婦の日常生活はどのようなものだったか

 性交の強要
  将校が部屋に入って来て,私を布で仕切った隣の部屋へ連れて行きました。…・行くまいともがきましたが,力づくで引っぱられて隣の部屋に連れて行かれました。
その将校は,私を抱きかかえながら,服を脱がせようとしました。抵抗しましたが,服はみな引き裂かれてしまい,結局その将校に私は処女を奪われてしまったのです。
その夜、私はその将校に二回も犯されました。
       (1941年のことで,彼女は満17歳だった。)

酒を飲んでの暴行

休日はあったのか
  前節でみたように、利用規程によれば,慰安婦は,兵士・下士官・将校の順に,朝から深夜まで軍人の相手をしなければならなかった。将校が泊まる場合は、ほぼ24時間拘束されたのである。
 慰安婦に休みは特にないか、あっても月に1,2回程度だった。

報酬をめぐって
 軍慰安所を利用する将校は,通常、料金を払っている。そのため兵士は、内地や植民地の公娼を買うのと同じような気分で慰安所に通っていた。
しかし、慰安婦の境遇は、劣悪な状況にある娼妓よりもはるかに悪かった。また、このお金が慰安婦に渡るとは限らなかったのである。
 多くの場合、衣装代・化粧品代など日用品が法外な値段で借金に繰り入れられ、4割の取り分のほとんどすべては借金返済にあてられた。