>>659
米軍も専用性奴隷を持っていたということだね。政府と取引したキリスト教婦人矯風会のフェミニストもレイシズムによって黙認
していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
>アメリカ本国は全国レベルでは公娼制を持たなかったが、植民地で公娼制度を導入した[222]。米西戦争でスペインに勝利
>したアメリカが1898年にフィリピンを占領してからは雨後の筍のように売春宿が蔓延し、また米軍は、現地の娼婦の検診を施
>したため、宣教師がこれらを訴えた[230]。1902年4月、キリスト教婦人矯風会(WCTU)のマーガレット・エリスがマニラ管理売春
>や児童買春の実態を報告するなどフェミニズムからの抗議を受け、米国政府は性病検査と検査料金徴収を中止し、健全な
>娯楽施設、読書室、体育館をかわりに建設するとした[230]。ルーズベルト大統領は現地娼婦と軍との関係を不明瞭にしたが、
>フィリピン軍政責任者のルート陸軍長官は診断料や診断証明書の料金がなくなっただけと語ったような実情であった[222]。
>のちにマーガレット・エリスと政府とのあいだで裏取引が発覚しており、その後も米軍慰安所は実質的に存続し、フィリピンで
>売春街を紅灯街に限定するようにし、性病検査を継続しながらもアメリカ政府が公式に関与していないように努力した[231]。

>米軍目当ての売春宿と性病検査はその後も第二次世界大戦、ベトナム戦争、1990年代の米軍の一時撤退まで継続し、廃止
>されることはなかった[232][222]。また、アメリカ人女性、フランス人、イタリア人、ロシア人、ユダヤ人の白人娼婦もボンベイ、
>シンガポール、サイゴン、香港、上海、ハルビン、マニラなどで就業した[233]。

>フィリピンの状況はその後も断続的に報告されるが、管理売春反対運動は後退した[234]。理由としては当時のフェミニストは
>米国の帝国主義と植民地主義を支持していたことがあげられ、矯風会もフィリピン、ハワイ、プエルトリコ領有を支持し、米国
>が神の目的を実現する救済者国家であると信じていた[234]。