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 薩摩藩に朝鮮通詞が存在し、活動していたことはあまり知られていない。

朝鮮通詞の制度は朝鮮との貿易を幕府から許可された対馬藩以外にみられないと思われていたからであり、薩摩藩に朝鮮通詞が存在していたことは驚くことであるが、
意外にも薩摩藩朝鮮通詞はその職制や役料、漂着朝鮮船への派遣など制度として確立していたといえるのである。

 朝鮮通詞という職掌自体、苗代川という地域に付随した職能集団から派生し、ある一人の人物の熱意が朝鮮通詞という職を興し、
それを受け継ぐ形で指南家ともいえる家柄が生まれた。それは朝鮮通詞の系譜とも呼べる李家の努力によるもので、
その功なって苗代川の朝鮮語は維持され、同時に藩も漂流民救助の必要から朝鮮通詞の確保の目的に合致した結果、
朝鮮通詞の養成や継承が藩の全面的支援のもとでなされた。そのため、李家の継承者が代々通詞を務めたことで歴代通詞と呼ばれ、世襲的な通詞制度が堅持された。
 
朝鮮通詞の役割は通訳という補助的職務であるようにみえるが、貿易や漂流民救助において重要な職掌であったことはいうまでもない。
頻繁に往来する唐船とは違い、極めて稀に漂着する朝鮮船を対象とするものではあったが唐通事同様に朝鮮通詞への藩の命令系統や対応する諸役、
漂着現地での対応や聴取内容の報告の手順などは漂着唐船に準じた体制であった。

 また、藩の学問の殿堂造士館講堂での年2回の朝鮮語対談をはじめ、藩は異国方書役の役人2名に朝鮮語学習のため苗代川に30日の長期にわたる出張を命じるなど藩庁の力の入れようも窺われる。
このように限られた状況史料から推察することになるがこれらの事情を勘案すると、朝鮮漂流漁船だけに対処する組織体制というより、
もっと広汎な朝鮮船の往来を物語っていることが考えられるのではないだろうか。

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