>>850
エリートでも何でもない多くは極貧亡国民、
妬み僻み精神は時代を経ても変わらない
新羅は現朝鮮人の直径子孫

弘仁11年(820年)2月13日、遠江・駿河両国で
新羅人(朝鮮人)在留民が党をなして
反乱を起こし、日本人を殺害して民家などを
焼いた。

両国では兵士を動員して攻撃したが、
制圧できなかった。
賊は伊豆国の穀物を盗み、船に乗って海上に出た。
しかし、七国の援兵が動員され
討伐した結果、全員が降伏した。

朝鮮半島などからの帰化人には
口分田と当面の生活費が与えられたが、
かれらはおそらく本国と違法な交易を目論んでおり、
それを見透かされ、関東地方の開拓に
移されたことを逆恨みし武力蜂起したものと
推定される。