大川中は当時から過疎化が進んで廃校寸前、
校舎には相当キャパの余裕があったから
大川小の一同は大川中まで行って大川中の一同と一緒に3階に避難するという選択肢もあった
そうしていれは当然全員無事だった
しかし最初から津波がここまで来るはずがないという先入観に毒され、
校舎の2階にも上がらない、裏山にも上がらない45分も校庭で待機させるような呆けた大川小の教頭以下の教職員達には
「どうにかして津波から逃れる」という考え自体が欠落しているので
大川中まで行って避難するという案など考えて見る者もいなかっただろう