これは色々な考え方があると思う。

ただ、いつもは保守派の主張を並べるこうしたスレッドで、この問題では多数派が左派になるとは・・・

私の考え方だと、『格差社会』を否定的に見ることには賛成できる。
その時、『格差』とはその共同体の平均の世帯なり個人なりの所得の10倍以上の層があって
しかも社会の流動性が減っているような状況を考えている。

ところで、平均の収入が500万円ぐらいで、その中で900〜1500万円を稼いでいる人を考えてみると
それは格差社会の証左なのではなく、むしろ努力の結果なのではないか?
その程度の差すら認めず、あるところから取るということは、人々が努力する意欲に影響があるのではないか?

私もやや多くの収入を得ている層に属すると思うけれども、ごく普通のマンションに住んでいる。
車でも300万円台の国産車に乗っていて、既に13年になる。
出身の学校も小学校から大学院まで全て公立、国立という環境だった。

少し努力をして、今の収入を得られるだけのことをしたという自負もあるのだが・・・