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2018年03月08日 06時00分
 大分県は日田市夜明地区にある石造アーチ橋「大肥橋」を撤去する方針を決めた。明治期に造られ、1953年の筑後川大水害など幾多の災害に耐えてきたが、増水した川の流れを阻害し周辺に水があふれる一因になったと判断、昨年の九州豪雨に伴う河川改良工事で撤去する。「眼鏡橋」の愛称で親しんできた住民たちは「残念だが仕方ない」と複雑だ。

 石橋は筑後川との合流点近くの大肥川に架かる。同地区の歴史を調べている夜明史談会によると、かつてあった石橋が洪水で流されたため、熊本の石橋職人らによって1899(明治32)年に造られた。長さ27・6メートル、幅4・6メートル。

 1945年に地区を襲った大洪水では大肥川にかかる四つの橋が流失したが、石橋は無事だった。さらに53年の筑後川大水害でも流失を免れ、その後も豪雨や地震に耐えてきた。

 昨年の豪雨で石橋自体に大きな損傷はなかったが、流木やがれきが橋に引っ掛かるなどして周辺に水があふれる一因になったという。県日田土木事務所は、石橋が大肥川の断面を狭めて水の流れを阻害しているとして、「治水上の安全」を撤去の理由としている。石橋がなくなれば、九州豪雨級の雨で増水しても河川内で流しきれるという。同事務所は早ければ2018年度中に撤去したい考えだ。

 地域の歴史を伝える遺構として大切にしてきた住民の心境は複雑だ。2月下旬にあった同事務所の夜明地区での説明会では、「保存する方法はないか」「移設はできないか」などの質問が出たという。しかし、移設には手間や多額の費用など負担が大きいこともあり実現のハードルは高い。

 この石橋は約40年前にも国道改良工事に伴って撤去される計画があった。しかし「先人の技術を伝える貴重な物だ」と地元から異論が出て計画は、中止になったという。当時を知る同地区の有冨宗喜さん(82)は「簡単に壊せないという声はあった。だが、寂しくても今回の豪雨被害の大きさを考えれば撤去もやむなしだ」と理解を示す。

 石橋の調査をしてきた夜明史談会の森山雅弘代表(60)も「石橋と地域の安全が両立しないのであれば、災害が起きないことを優先すべきだ」と言う。今後、石橋との“お別れ会”の開催を検討しており「記憶として残すことで先人の苦労を後世に伝えたい」と話している。

=2018/03/08付 西日本新聞朝刊=

撤去されることになった石造アーチ橋「大肥橋」
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国道や鉄道と並行して架かる大肥橋。橋の向こうが大肥川、手前が筑後川本流
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夜明ダムの放流で水位が下がった際に全貌を現した下部=昨年10月
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