●車内で「たこ焼き」を食べることが禁止に

「豚まん」の臭いを不快に感じている方たちからすれば卒倒しそうなほど気色の悪い話かもしれないが、実は1987年から
東海道新幹線(東京ー大阪間)で「たこ焼き」が車内販売されていたことがある。
        
『東海道新幹線の約半数の列車で車内販売を担当しているジェイ・ダイナー東海の大阪営業所だけで、1ヶ月間に計3万-4万個、
ゴールデンウィークなどの混雑期には1ヶ月で8万ー10万個は売れるという。(中略)子供や女性客に人気のたこ焼きだが、
「酒のつまみに最適」と男性客もファンが増えている』(日本経済新聞 名古屋版 1989年5月4日)

バブル華やかなりし80年代後半、新幹線のなかで「たこ焼き」をほうばるのは、多くの日本人にとって当たり前の行為だったのだ。
車内のレンジでチンをするモノだったが、温めてソースをかければ当然、たこ焼きの臭いがむわっとたちこめる。これを車内販売で
扱っていたわけだから、東海道新幹線車内がどんな状況だったのか、というのは容易に想像できよう。

言うまでもなく、現在の東海道新幹線の車内販売で「たこ焼き」は扱っていない。それどころではなく、そもそも「たこ焼き」は
車内で食べることすら禁止となっている。

昨年夏、駅構内で販売されている「たこ焼き」のパッケージに、JR東海からの要請で、「新幹線車内および駅構内でのお召し上がりは
ご遠慮願います。空き容器は店内のくずもの入れにお捨て願います」という注意書きシールが貼られることになったのだ。

これは、2011年に新大阪駅の新幹線改札内にオープンした人気店「たこ家道頓堀くくる」の影響が大きい。こちらで、
たこ焼きをテイクアウトして新幹線に乗り込む客が増えたことで、その臭いに対して一部の乗客から苦情が寄せられたのだ。

●「551蓬莱」が出張族に支持されている背景

さて、ここで要点を整理しよう。

かつて新幹線で車内販売され人気を誇っていた「冷凍たこ焼き」も消え、改札内で販売が始まった「たこ焼き」も6年ほどで車内から締め出された。

一方、平成不況のなかで出張族もかつてのように、「新幹線の最終まで一杯」「北新地で楽しんで翌朝帰る」なんてぜいたくは許されなくなった。
仕事を終えたらさっさと新大阪へ、というスタイルが常識となるにつれ、「車内飲み」のニーズが増えるのは当然だ。では、大阪のおいしい店は
行けなかったけれど、せめて大阪らしいモノをつまみに一杯やりたいな、という出張族は新幹線「たこ焼き」が消えた今、どこを目指すのかといえば、
あそこしかあるまい。

つまり、「551蓬莱」がここまで出張族に支持されているのは、ひとつひとつ手作りで安くておいしい製品自体の魅力もさることながら、
かつてのライバルである「たこ焼き」の勢いが衰えたことで、「ある程度ボリュームのある新幹線車内つまみ」というポジションを独占できたことも大きいのである。

それは裏を返せば、「たこ焼き」と同じ運命をたどりかねないことでもある。事実、ニュースサイト『しらべぇ』がJR東海に問い合わせたところ、
「駅弁や豚まんなど『シールがないもの』については一概にはお答えできませんが、周囲からご意見があった際は、ご協力いただくこともあるかもしれません」
とその可能性を否定しなかった。

「それが当然だ、さっさとあんなモノは禁止しろ」と「豚まん」禁止派の方たちは思うかもしれないが、実は新幹線にとどまらず、日本の鉄道は
移動しながら「食事」をするのが伝統だった。明治時代に上野ー宇都宮間が開通したのと同時に、駅弁(当時は汽車弁当)は誕生している。

そう言うと、「昔の鉄道は長距離運行で、故障も多くて乗っている時間が長かったから駅弁くらいしか楽しみがなかったんだよ」と補足したがる人がいるが、
長距離鉄道に限らず普通の電車であっても、腹が減れば普通に食事をしていた。

電車のなかでパンやおにぎりを食べるの若者はけしからん、とおじさんやおばさんは顔をしかめるが、実は彼らが子どものときはそういう大人ばかりだったのである。