http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-43368993

2018/03/12
ズー・ピン・チャン ビジネス記者

その日は本来、記念すべきお祝いの日だった。しかし、渡邉利生(わたなべ・りお)さんの卒業式は、悪い意味で忘れられないものになってしまった。

当時23歳だった渡邉さんは、最初の揺れが始まったとき、東京にいた。

日本は地震慣れしている国だ。日本の気象庁によれば、毎年10万回以上の地震が発生する。

しかし、2011年3月11日の揺れはあまりに激しく、渡邉さんは東京が震源に違いないと思った。
東京から約380キロ北で発生した地震だと知った時、渡邉さんはただちに、福島にいる家族と、父親が経営する旅館「山水荘」のことを考えた。

山水荘がある土湯温泉は山間部にある。マグニチュード9にも達した地震や津波の、直接の被害からは逃れることができた。
しかし、福島第1原子力発電所のメルトダウン事故は放射能汚染を引き起こし、温泉地からはあっという間に人が消えた。

何もかもがいきなり変わった。当時の様子は渡邉さんの頭から離れない。原発事故の影響で、旅館の全ての予約がキャンセルされた。
あれから7年がたったが、旅館の営業利益は震災前の水準には回復していない。

温泉を訪れる客の中には今でも、放射能被害について話題にする人もいるという。「福島には未だにネガティブなイメージがあり、それはこの地域の全員にとって苦痛だ」と渡邉さんは言う。
地震と津波で1万8000人以上の死亡が確認され、日本はエネルギー政策の再考も迫られた。
7年たった今も、2011年の震災による傷は残る。住む人を失った多くの家屋は、生い茂る枝や生垣に覆われてしまった。自動販売機も放置された。

ただそこには、回復の物語もある。
(リンク先に続きあり)
(英語記事 Fukushima's long road to recovery)