>>899
東京を首都にというのは、佐賀藩鍋島閑叟の意向が大きい。
理由は、京都や大阪では官舎になりそうな建物が無く新設する必要があった事。
ロシアが南下してきたときに、朝鮮半島ルート、サハリンルートのどちらでも、
東京が最も奥地となり、国防上の都合が良かったこと。

これらを江藤新平と大木喬任に話して建白書を書かせた。
大久保は江藤から説得されて東京案に乗り換えた。

日本最大の大平野が東日本の比較的温暖な所にあって、西日本へ接続しやすい立地にあって、
太平洋周辺の海路を直接利用しやすい。物流拠点の設け易さ。
阪神モダニズムの時代は、「大大阪」と呼ばれ、東京より華やかだった。
ただ、それは関東大震災のお陰で栄えたというのもある。(関東から大阪への避難民で大阪は一時日本最大人口になった。)