http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072700809.html
友情 西部邁著 思想する人の心の「深み」を映す鏡

この本は亡き友の墓標である。内容は長い墓碑銘と見立ててよい。
 西部邁の社会思想家としての出世作『大衆への反逆』に「不良少年U君」というとても
印象的な短文が収められていた。中学時代に知り合ったUとの交友を簡潔に綴(つづ)った
ものだ。西部とUは同じ名門高校に進み、「精神的同性愛」の気配が漂うほどの親友になった。
だが、どうしようもない運命が二人の生路を分かつ。Uは退学し、極道をひた走っていった。
 「不良少年U君」は委細が捨象されていたため、ロマンティックな友情物語のようにも読める。
だが、生の実相はそんな甘やかな感懐など寄せ付けぬほど凄絶(せいぜつ)だったのだ。

 その後、Uこと海野治夫は自死した。焼身か入水かすら、判然としない骸(むくろ)でみつかったという。
 海野は西部の元に、自身の人生を記した手稿を送付していた。西部は、その手記と自らの記憶とを手掛かりに、
戦後時代の一断面としてこの生の記録を遺(のこ)そうと発心する。そして二つの暗い炎の光跡が鮮やかに描き出された。

 苛酷(かこく)な貧困があり、差別があった。切なる希望がやがて魂を侵し、
むしろ救いのなさこそが心の支えとなる。そんな悲惨な皮肉に満ちていた。
 海野の父はBC級戦犯として処刑された朝鮮人軍属だった。母は苦界に身を沈めた過去を負っていた。
彼はアイデンティティの置き処(どころ)を予(あらかじ)め奪われていた。
 この故郷喪失者に注がれる西部の視線はこよなく温かい。メキシコのインディオと白人の混血、
メスティーソを引き合いに出し、「出自」なるものに基づく差別分別の愚かしさに憫笑(びんしょう)を与えている。
クレオールだの、ポストコロニアルだのといった目新しい思潮が軽佻(けいちょう)にみえるほどの凄(すご)みを込めて。
 保守は、少なくとも西部の唱える保守は、教条の類(たぐい)とは無縁の思想であることを教えてくれる。
 友のための墓銘が、少し角度を変えるとまるで著者の遺書のように映るところがある。
だが、まだ早過ぎる。まだ戦いは終わっていない。
 [評者]宮崎哲弥(評論家)