もう内乱予備やん
https://ja.wikipedia.org/wiki/オウム真理教の国家転覆計画
「11月戦争」
1995年1月の読売新聞による上九一色村のサリン残留物スクープ、3月の警察による
強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる
「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。
「11月戦争」計画によると、1995年11月教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空
からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、米・露・朝
の各軍隊による核戦争を誘発させる。
その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を
統治するというものであった

皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画
1993年6月、皇太子成婚パレードの際に炭疽菌を散布すべく、散布地点の下見を行ったり、
皇居に向けて炭疽菌散布の実験を行ったが準備不足により中止された[22]。

首都圏炭疽菌散布計画
1993年6月28日と7月2日に、亀戸の教団施設から炭疽菌散布実験を行い、異臭を放ったこと
で近隣住民の顰蹙を買った(亀戸異臭事件)。後になって生物兵器テロ未遂事件であったこと
が明らかになった[25]。異臭事件の後、杉本繁郎らがトラックを運転し国会議事堂、皇居、
「フリーメイソンの建物」、創価学会、東京タワー、横浜、霞ヶ関などに実際に散布したが効果は
無かった。麻原もトラックに乗り込み指揮をしていた[22][26][21]。

神宮球場サリン散布計画
1993年、天皇が神宮球場を訪れるという情報を入手。サリンを散布する計画があり、早川紀代秀
が神宮球場の構造を調べることころまで進んでいた[27]。