【岐阜】関ケ原の戦い・西軍の武将大谷吉継の戒名、石塔の最下部から発見 関ケ原町が調査
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
大谷吉継の戒名と没年月日が刻まれていた五輪塔=関ケ原町藤下で
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180319/images/PK2018031802100214_size0.jpg
関ケ原の戦いに参戦した西軍の武将大谷吉継について、関ケ原町に残る墓に戒名と没年月日が彫られていたことが、町の調査でわかった。墓は合戦後すぐに建立されたとみられ、専門家は「貴重な資料で、新たな発見につながる可能性がある」と指摘している。
町は県と策定した「関ケ原古戦場グランドデザイン」に基づき、二〇一五年度から史跡整備を進めている。今回発見された戒名と没年月日は、一七年度に大谷吉継の墓を整備していて見つかった。
刻まれていた場所は、上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪の五つの部位から成る五輪塔と呼ばれる石塔の最下部の地輪。拓本を採取したところ「前刑部□□□□大禅定門」と「□時慶長五年」「九月十五日」などとあった。
大谷吉継は関ケ原の戦いで敗れて自害した。これまで知られている戒名は領地だった福井県敦賀市の永賞寺の資料などにある「渓広院殿前刑部卿心月白頭大禅定門」で、今回とは文字や文字数が異なる。
大谷吉継の研究で知られる敦賀市博物館の外岡慎一郎館長は「従来の戒名とは異なる可能性が高い。没年月日と戒名が彫り込まれて出てくるのはとても貴重だ」と話した。
五輪塔の専門家で、元興寺文化財研究所(奈良市)の狭川真一副所長は、今回の五輪塔は「関ケ原の戦いのあった慶長年間のころの塔とみて問題はない」としている。
町は文字の解読を進めると同時に、石材として使われた花こう岩の産地を特定し、建立に関わったと伝わる藤堂家との関係も明らかにしていく。(吉本章紀)
2018年3月19日
中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180319/CK2018031902000020.html >>1
■ASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)
いわゆる空気を読むや相手の気持ちを読むことが苦手な「社会性」、相手の発言を即時に正しく理解したり、自分の思いを細かくわかりやすく伝えることが難しい「コミュニケーション面」、
そして次に起こる出来事を想像することが苦手で自分の安心したルール・環境に過度に固執しやすい「想像・こだわり」といった特徴があります。
また
「積極奇異型」
「受動型」
「孤立型」
という3つの型で分類することも支援の現場では一般的です。
全く違うように見えますが、他人や多人数のグループに上手に関われないので、
・自分のペースを押し付けるのが「積極奇異」、
・同じ理由で上手に関われないので自分を消してしまう「受動型」、
・そしてそもそも上手に関われないことを何とも思わない「孤立型」
と、現象や根っこの特性・障害は共通しています。
【 なお ”自閉症” と言っても自分から閉じこもる病ではありません。】
【 医学的に言われる ”自閉” とは ”自分目線” ということです。】
■ASD:自閉スペクトラム症
コミュニケーションや対人関係、想像力のかたより。パターン化した興味や活動など。
●空気を読むことが苦手、言葉の比喩や裏の意味がわからない。
●人との距離感が独特で、一方的だったり、拒絶的だったりする。
●好きなテーマを語りだすと止まらない、人の話を聞くのが苦手。
●過去のことはよく覚えているが、未来を想像し予定を立てるのが苦手。
●時に過去の嫌な出来事がフラッシュバックして情緒不安定になる。
●視覚、聴覚などの感覚が過敏。
●同時に複数のことを処理することが苦手。
●他者視点に立って考えることが苦手。
こだわりや限定した社会性は仕事などでプラスに働くこともありますが、コミュニケーション面の苦手さはどの職場・環境でも不利に働くことが多いのは確かです。
他の発達障害と同じく生まれてから死ぬまで基礎的な特徴は続きます。
自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群は知的には通常である人が多く、中には一部のIQが120を超えるような人も珍しくはありません。
勉強ができることから学校社会に適応して、大人になるまでは気づかれない場合も目立ちます。
ただし大学や就活、職場というコミュニケーションが複雑に迅速に求められる場で苦手感が強くなることが一般的です。
【社会】発達障害、社会人になってから診断される人が8割
仕事で問題が生じて判明 7割が職場でカミングアウトできず
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520425908/
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520413762/
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520400723/
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520393145/
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520386480/
tio 藤堂高虎はあちこちうろちょろしてるだけじゃなかったんだな 大谷吉継 知り合いではないが好感が持てる武将 合掌 こんな小者に税金使うな
税金使うなら家康レベルにしろ >>12
三成ぐらいしか友達いなかったんでしょ
梅毒だかハンセン病で顔がぐちゃぐちゃだったみたいだし 藤堂高虎、主君をコロコロ変えたけど
性格はたぶん良かったんやろなあ 小早川秀明は、ほんとは偉丈夫で有能な主君だったらしいな。 病で白ずきんで顔隠してたんだろうけど、
その白ずきんと具足を身につけたら何故か
外見カッコいい大谷吉継。 関ヶ原旅行の思い出だが、小早川軍の陣地跡の山に登ったら、鹿の群れに遭遇してビックリした。
田舎とはいえ、山を降りたら住宅地だぞ。鹿ってデカいのに、山の中でもバイク並のスピードで走るからかなり怖いね。 >>14
おいおい。。
本気で言っているのか?ゆとり? 石田三成の友達だっけ?
ベールに包まれてる部分も多いよな >>27
壬申の乱のときの後の天武天皇。桃配山に布陣した大将は天武、家康と二連勝w 秀吉がすんげー評価してたとか言うけど
そのわりには知行少ないんだよな 西方の方が秀吉にかわいがってもらった
恩義を忘れずに正義だといえるしな >>19
明朝鮮連合軍二万を六千人で打ち破ってるね。
地元の治世も良かったらしい。
小早川家は後に復興されてることを思えば過小評価されすぎ。 >>19
二代目片倉小十郎のケツ追っかけ回して東福寺に逃げ込まれたけどなw >>15
そもそも石田三成が小早川家を
潰そうとしてた所を家康に助けられたのに
小早川が石田につくわけないじゃん 大谷吉継は江戸時代を通して「義を重んじた名将」としての評価が
変らなかった人だよね。この人の娘が真田幸村の嫁。
石田三成も含めて関ヶ原敗戦組はドラマの主役を張る人が多い。 >>6
体制としては徳川家康が天下を取ったのが理想とわかるけど、大谷吉継とか真田親子とか反徳川の武将に惹かれるのは否定できない。 >>43
たしかに東軍は、家康以外、華のあるのがだれもいないという感じ。 関ケ原の戦いのドラマ観て、「何なんだこの人は」って
幼少時インパクト与えるのが大谷刑部だろう。 刑部が口をつけた茶碗に誰も口をつけずに回しのみのはずが全て残ってた茶を三成が最期に飲み干したエピソードが好き >>17
時勢上そうせざるを得なかっただけで本質的には無茶苦茶義理堅いんだろうな ■関ヶ原のリベンジが、明治維新!・・西日本諸藩主が官軍
■明治維新のリベンジが、太平洋戦争!・・東北諸藩の子孫が主導
さて、平成は! 徳川ほど罪深い存在はないわ
民に迷惑かけてごめんなさいだろ。 首が見つかれば、骨のDNA検査して秀吉と親子か確認できるのにな >>45
華と言うより侠気があるやつがいない
強いほうになびく義理も人情もない
こわっぱヘタレばかりw >>50
「この藩は合わないんで辞めます」って家臣がいたら高虎は茶を点てて刀をプレゼントし
「新しい仕官先が駄目だったらいつでも帰ってきて良いぞ」と言って送り出し、実際に出戻った家臣を元の待遇で仕官させたという
これを批判した家臣に対しては「家臣や家来には禄だけじゃなくて情を掛けないといけない。
情を掛けてやれば藩主に付いてきてくれる有能な家臣が増えて禄も無駄にならない」と言ったという話がある 大谷吉継は関ヶ原の数少ない花
小早川を最初から最後まで疑っていたが結局とめられなかったのは残念 >>32
秀吉の嫁に縁が深い準身内枠らしいね
石高的には戦働きは期待されずに能吏として評価されてたのが良くも悪くも裏目った感 >>58
天正15年(1587年)、大坂城で開かれた茶会において、招かれた豊臣諸将は茶碗に入った茶を
1口ずつ飲んで次の者へ回していった。
この時、吉継が口をつけた茶碗は誰もが嫌い、後の者達は病気の感染を恐れて飲むふりをする
だけであったが、三成だけ普段と変わりなくその茶を飲み(一説には吉継が飲む際に顔から膿が
茶碗に落ち、周りの者達はさらにその茶を飲むのをためらったが、三成はその膿ごと茶を飲み干し、
おいしいので全部飲んでしまったからもう一杯茶を注いでほしいと気を利かせたとされる)
、気軽に話しかけてきた。その事に感激した吉継は、関ヶ原において共に決起する決意をしたとされる うちの先祖は西側に属したのに藤堂さんの執り成しで
領地は取上げられたけど生き延びることができた
大谷の石塔も建ててやるだなんて意外にいいやつだな藤堂さん >>59
大和大納言豊臣秀長が
長生きしてたら普通に豊臣の家臣として
人生終えてた気がする
秀長以外に高虎の器を使い切れる人間が家康しかいなかった 集団ストーカー
デイサービスぬくもり
黒幕は金、李 >>66
大谷と言えばレストランだな
板橋区の人間にとっては >>17
転々とした後の主君が羽柴秀長だぞ
誰だってそれまでの主君よりこっちに就職したいだろ 15年前のハンディームービーのカセットテープを再生する方法がなくて困ってる。
記録を残すには石に刻むしかないのか。 >>71
家康の死に際に「宗派を変えてあの世でも付いていきますぞ」とその場で改宗した話とか
両者の信頼関係がよく現れてるな 歴史スレでウィキに載ってる程度のことを嬉々として書いてるやつには心底うんざりする 「渓広院殿前刑部卿心月白頭大禅定門」
「けいこういん さきのぎょうぶきょう しんげつはくとう だいぜんじょうもん」
という読みでいいのかな?
でも、大谷吉継は刑部卿ではないだろ。刑部少輔じゃね? その時代時代に影響与える戦国モノの漫画があるけどいまは"へうげもの"だよな
お茶会の鼻水エピも政宗の命乞いエピも >>77
逆になぁ
そのエピソードでただのイエスマンだったのかって印象がついちゃってなぁ
それさえなければ生かして使うべき
万人にとっての器量人って感じなんだが 間違えた。
「渓広院殿前刑部卿心月白頭大禅定門」
「けいこういんでん さきのぎょうぶきょう しんげつはくとう だいぜんじょうもん」 高虎と関ヶ原で戦ってるしその縁で建立したんだろうな
敵とはいえ、立派な最後なんだし、家康の覚えのめでたい高虎が作りたいっていったら無下にもできんだろうし 関ヶ原っていうと数万人はいる徳川家康の本陣に向かって正面敗走したキチガイ集団がいると聞いた 新発見のは読めないところも明らかに「心月白頭」じゃなかったってことかな?良くわからんが。
そうじゃないなら、あとからのほうに院殿号を足しただけだし。まあ、ちがうっちゃあ違うが 生きてて天海になったんじゃなかったっけ?
ずーっと覆面で顔隠してきて良かったと言ってた >>81
自分が同席してたら、茶坊主の度量が広いアピールうっざって思うわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています