>>630の続き)


「文明が進めば進むほど、人間の能力は退化する。」という考え方がある。

はたして、「退化」が「幸福」な事柄なのだろうか?

確かに、現在の文明社会に溶け込み、結婚・出産・育児をしながら、インターネットや携帯電話を上手く活用し、
器用に家庭を維持している人達は少なくないのだろう。
しかし、彼(彼女)らから、それらの文明の利器を取り上げたら、たちまち今までのようには家庭が維持できなくなるであろう。

現代社会で生きる我々、殊(こと)に文明の利器に依存して生きている人達ほど、一見、器用に見えても、
実は、とんでもない脆さを抱えているのではあるまいか。

進展したデジタル社会で暮らす我々の生活は、合理的で都合の良いように整備された養殖場のような環境、
ある意味、動物園の檻の中にいるようなものなのではあるまいか。

であるならば、飼育者の望むように繁殖活動や育児をしていてはマズイのではあるまいか。
しかし、その飼育者もまた、我々人間である点は、動物園とは事情が異なり、解決策は単純ではない。

動物園の動物なら、諦めて人間の思う通りに繁殖・子育てするか、それを放棄するか、脱走して野生に還るかの三択なのだろうが、
我々人間には、他にも、もっと多くの選択肢が残されているはずである。

右手にドリンクカップ、左手にはスマホ、耳にはイヤホンを付けて電動アシスト付き自転車に乗って若者が老婆を轢き殺すような
事件が続出するような社会を我々人間が望んでいるとはとても思えない。

しかし、やがて、アナログネイティブがこの世から消え、デジタルネイティブが世の中を動かしていく時代が来るであろう事は、容易に想像がつく。

近年の非婚化や晩婚化、少子化などは、やがて来る本格的に人間社会が直面する危機に対する警鐘なのではあるまいか。

昨今、他者に不寛容で他罰的で神経症的な風潮が世の中に蔓延しつつある。
障害者、生活保護受給者、喫煙者などの、社会的弱者をイジメてストレス発散しているだけでは、
根本的な問題解決には全くもってつながらないのである。

イジメは、社会生活でのストレスから発生することが多いという。

では、ストレスの根本原因、特に、携帯電話やインターネットが普及し出したここ20年間の現代社会のあり様を、もう一度再検証し、
次世代のためにその対策を講じるのが、我々アナログネイティブの責任であり使命なのではあるまいか。