【東京】国の重要文化財「旧前田家本邸洋館」で扉のガラスにひび 何者かが投石か
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東京・目黒区にある国の重要文化財「旧前田家本邸洋館」で扉のガラスがひび割れているのが見つかり、警視庁は何者かが石を投げた疑いがあるとして捜査しています。
東京都などによりますと、目黒区の駒場公園内にある国の重要文化財「旧前田家本邸洋館」は、おととしから建物の保存工事が行われていました。
1日午後1時すぎに工事関係者が建物南側1階のガラス戸がひび割れているのを見つけ、警視庁に通報したということです。
建物には誰でも近付ける状態でした。警視庁は何者かが故意に石を投げ付けてガラス戸を割った疑いがあるとして、3日に東京都教育委員会から出された被害届を受理し、器物損壊の疑いで捜査しています。
2018/04/04 07:07
テレ朝ニュース
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000124348.html
∧_∧
< `∀´> л
 ̄ \ ( E)
フ /ヽ ヽ_// >>1
やっぱ賤ヶ岳の戦いにおいて謎の撤退したから、
それを恨みに思った柴田勝家の残党の犯行だろ? テレ朝の新人アナか?
ニュース読むの激下手くそだな みなさん、これが
国籍が透けて見える病気の人たちです 国の文化財を傷つける人と言ったら… あれしか思い浮かばないw 今の日本人も相当劣化してるから
犯人は日本人かもね
特に今の60代とか酷すぎ >>4>>6
同意はええよ(笑)
燃えてないし、洋館を狙った故意の投石ではない可能性もあるし。 今までどれだけの文化財が南トンスル人によって壊されたか
地蔵まで壊されたしな 文禄・慶長の役
国内を統一した後の秀吉は唐入り(高麗御陣)、すなわち朝鮮出兵を始める。
天正19年(1591年)8月、秀吉より出兵の命が出され、名護屋城の築城が始められた。
翌文禄元年(1592年)3月16日に利家は諸将に先んじて京を出陣、名護屋に向かった(言経卿記)。従う兵は8,000というが、嫡子の利長は京に停められている。
初め秀吉は自ら渡海する意思を持っていたが、利家は徳川家康と共にその非なるを説き、思い止まらせた。
7月22日、秀吉は母・大政所危篤の報を得て、急ぎ帰坂する。葬儀を終えて、再び名護屋へ向け大坂を発ったのが10月1日(多聞院日記)。
約3ヶ月間名護屋を留守にしていたが、その問、秀吉に代わって諸将を指揮し、政務を行っていたのは、家康と利家であり、のちの五大老の原型がみてとれる。
文禄2年(1593年)1月、渡海の命を受けて準備し、陣立てまで定まったが、間もなく明との講和の動きが進み、結局は渡海に及ばなかった。
5月15日、明使が名護屋に着くと、家康・利家の邸宅がその宿舎とされた。 大地震で倒壊しても在日トンキンなら何者かがとか言い出すんだろ 旧帝大の古い校舎なんかによくあるような様式の建物だな。
こういうの何てゆーんだ? 偽ゴシック様式? あの時代の板ガラスか入ったままだったら、もう再生不可能な手延べ板ガラスだよ
もったいない >>1
旧前田家本邸洋館は太平洋戦争中に強制連行された韓国人が建てたニダ
旧前田家本邸洋館の建設現場には日本軍に強制連行された従軍慰安婦がいたニダ あそこ鷹狩り場で
御三家大名つれて盛大にやっていたんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています