【古代ロマン】「卑弥呼支えた渡来系集団」 奈良県立図書情報館・千田館長が自説展開
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◆「卑弥呼支えた渡来系集団」奈良県立図書情報館・千田館長が自説展開
卑弥呼(ひみこ)時代の邪馬台国(やまたいこく)成立には、アメノヒボコやツヌガノアラシトといった渡来系集団が関与したのではないか−。
歴史地理学者で奈良県立図書情報館長(奈良市)の千田稔氏が、そうした自説を同館で開かれた公開講座「図書館劇場XII第6幕」で展開した。
アメノヒボコは、『古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』に登場する新羅(しらぎ)の王子で、意富加羅(おおから)国の王子であるツヌガノアラシトと同様に古代朝鮮から渡来。
但馬(兵庫県北部)にとどまって玉や鏡などを持ち込んだと伝えられている。
千田氏によると、邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の東方に位置する兵主(ひょうず)神社と、長崎や滋賀、兵庫県などに分布する兵主神社はアメノヒボコと関係があるという。
「兵主」は武器など金属加工の神で、アメノヒボコの集団は金属加工や土地開発に従事。
長崎県壱岐市や滋賀県彦根市などにある金属関連遺跡について、周辺にある兵主神社との関連性を示し、纒向遺跡がある三輪山麓に渡来文化が入ってきたと推測した。
千田氏はその上で、「三輪山信仰を中心に邪馬台国ができ、アメノヒボコやツヌガノアラシトの集団が技術的な面で貢献したのではいか」と指摘した。
写真:図書館劇場で講演する千田稔氏=奈良市
https://www.sankei.com/images/news/180406/wst1804060012-p1.jpg
産経WEST 2018.4.6 08:21
https://www.sankei.com/west/news/180406/wst1804060012-n1.html 卑弥呼と言われて直ぐセクシー女優を思い出す俺は40代。 アメノヒボコなんか所詮は但馬の田舎暮らししてた程度の人物
そんな貢献できる人物なら中央に迎えられて要職についてるよ 畿内ファンタジー
卑弥呼支えた渡来系集団←New! 日本人は12%のDNAを縄文人から受け継いでいる
弥生人が縄文人を駆逐したならこういう数字にはならない またかよ
渡来系とか
単なる侵略者だろーが
自己弁護が過ぎるぞ 卑弥呼自体が半島系w
加羅から伯耆に渡って来た製鉄集団の末裔w
伯耆から出雲や丹波や吉備に勢力を拡大、是を投馬国と呼ぶw
投馬国はさらに勢力を拡大w
東征し大和に進出した一派が邪馬台国を立てるw 選りに選って新羅かよ
これはボツネタくさいな、、、 いや、だからこそ邪馬台国は倭に滅ぼされたのか
もしかして一理あるのかな >>12
いや、縄文人と弥生人が争った形跡はない
取り敢えずセックルしたと見るのがいいだろう 神功皇后は、新羅のアメノヒボコの子孫と日本書紀に書いてある。
そして、卑弥呼のことも神功皇后のところに書いてる。
てことは、卑弥呼はアメノヒボコの子孫か ヒミコの当て字はいい加減に変えよう。妃皇女あたりがいいんじゃない? この前大化の改新をNHKがやってたが、
明日香村の渡来人がー渡来人がー、と短い時間で50回くらい渡来人連呼してたわ
当時の遺跡でオンドルまであんのな
こんな忌み地が邪馬台国とかロマンも楽しみもありやしねえ 渡来系なら漢字を使っていただろ
なぜ日本に記録がないんだ?死ねやヴォケ >>12
アメリカ人はネイティブアメリカン(昔はインディアンと呼んでた)のDNAを引き継いでいるか?
駆逐したから、ほとんど引き継いでいない >>10
日本から半島に行った 製鉄のためにね、んでまた帰国し、勢力拡大 のち、ヤマト 卑弥呼は最後、 重臣と思われる人達に殺されてるんだけど
渡来系の連中に殺されたでいいの?
適当なこと言ってると墓穴掘るよ? >>14
天皇もそうだけど、"神"の当て字があるのは、全部 同じ人物だよ
ようするに中国大陸からさ 倭国には文字を読み書きできる人間も寺を建てられる大工も
仏像を作れる仏師も一人もいなかったからな
当たり前だが 卑弥呼は縄文系、尾張系だな。
邪馬台国、大和朝廷は尾張東海、出雲山陰連合を主体とした政権 こういう奴らて年がら年中365日、日本より朝鮮を上にするにはどうしたらいいかを考えてそうだなw >>21
ビルドアップ バンバンバンバラバラババンバン >>27
ウンコリアンが必死に日本人は韓国系ってことにしたがってるからな。
天皇陛下さえも >>23
何で百済の民をおまエラは滅ぼしたのかな?
全くシンパシーを感じない連中だったからだろw トライ人有難がりすぎだろ。
つーか、異世界チートハーレム物の元祖がコレか? そもそも渡来人自体戦後イデオロギー用語。
渡来人=今のコリアンやシナ人というわけではない 天孫降臨自体が朝鮮人だからな
朝鮮半島追われた朝鮮王族が日本列島に渡来したのが始まり やっぱり、九州説ベースより畿内説ベースのスレの方がいいわw >>20
ヒント:縄文人の血は引いてないのが関西史観 弥生人=朝鮮人
縄文人=土着の日本人
そして現在の日本人の多くのDNAは弥生人系
よって日本人のルーツは朝鮮半島 >>36 だから縄文系の沖縄をいじめるんだな(・ω・`) ♪海を渡って「渡辺」さん
https://youtu.be/aqKBvTt3zbI
成りすまし朝鮮人がよく使う偽名
青木・青山・秋本・秋山・新井・岩田・岩本・飯田・飯島・伊東・伊藤・小川・
岡田・岡本・金田・金村・金本・金山・金岡・木村・木本・木山・木下・工藤・
熊谷・小林・近藤・佐藤・高山・徳山・徳田・徳永・富永・豊田・中村・中山・
馬場・林・東・平田・広瀬・福田・福本・福永・藤原・藤井・星山・前田・
松山・松田・松浦・南・森本・安田・安原・山田・山本・吉田・和田・渡辺・
西原・松原・水原・金子←NEW!! 半島起源説派の特徴
反日、天皇は朝鮮半島から来たなど >>4
卑弥呼は九州に住んでて九州からは一歩も出てないですね。 >>36
> よって日本人のルーツは朝鮮半島
それはおかしい。
もしそうだとしたら朝鮮民族の能力から言って
現在の朝鮮両国みたいな惨憺たる状態になってるはずw 「ジャップは太古からテンコロが統一的に支配してきた」
という国家神道の嘘に対する
最も分かり安い反証が「卑弥呼」の記述。
だからゴミネトウヨが、
必死に「邪馬台国」が近畿にあったと
支持不可能な説を主張して、嘲笑われる。
この繰り返し。 >>14
神功の実家の息長氏の領地は滋賀兵庫だからな
神功と仲哀の婚姻は滋賀兵庫勢力と畿内勢力の政略結婚
滋賀兵庫は新羅に近く、新羅の影響がある地域でもある
遠征で仲哀が死んで、嫁の神功とその子供だけが畿内に帰ってきたときの畿内の反応は想像したらわかるよな
「うちの仲哀はどこよ!そんな子、誰の子かわからないでしょ!」って 朝鮮半島の南部には日本の古墳があるし、やっぱり日本が朝鮮を支配してたんだよ >>46
それはかなり後代になってからだぞ
朝鮮半島南部の前方後円墳は全部6世紀のもの 日本では前方後円墳ブームが終わりかけてる時期に、なぜか朝鮮半島南部で前方後円墳を作り出してるってわけ 金日成は日本人。金日成は日韓併合後の平壌生まれなので日本人として生まれた。 「渡来系」と言っても、彼らのルーツは元々日本にあったかもしれんだろ。
先祖の国にもどってきただけ、という可能性もある。
現に、アメノヒボコの嫁は「祖先の国に帰る」と言って新羅から大阪難波に入った。
後を追ったアメノヒボコは難波に入れず、結局但馬に落ち着いて子孫を残したが
新羅の初代王のブレーンを務めた人物は多婆那国の出身だと朝鮮の歴史書に書いてある。
この多婆那国こそアメノヒボコが定住した但馬地方と比定されている。
やはり「渡来系」=「先祖の国にもどってきただけ」という可能性は大いにある。 たぶん、山陰や兵庫あたりの港から、朝鮮半島東海岸にいく交易ルートがあったっぽい
日本書紀にいう「根の国」も新羅高句麗あたりの領域のことだろう
根の国の入り口にあたる「黄泉の国」が出雲で、幽界を支配する大国主の国 >>50
そうそう
丹波と新羅には強いパイプがある
その丹波に近い地域に実家があったのが神功
その神功が九州を経由し親羅を征服しにいく
その意味は?ってことだよな コメのDNA的に、今の上海あたりから沖縄経由で渡ってきたのが渡来系の大本だろ 渡来系の技術力を利用しつつ
最終的に大化の改新で渡来系は排除または従属させたと思うわ 息長氏の王女である神功が畿内の王子に嫁入りしたのはなぜか
親新羅(または後に新羅と呼ばれることになる地域)である山陰北陸と
親百済(または後に百済と呼ばれることになる地域)である畿内との争いに
丹波近江を支配する息長氏は畿内側についたということだよ
近江は畿内から日本海に出るルートの通り道であり昔からの友好国だから 渡来人が中国〜朝鮮からだったにしても
今のチョンとは全然違うからな
今のチョンは完全に劣化DNAだしな 中国南部→中国北部→朝鮮半島→日本ルート
中国南部→海路→沖縄→本州
朝鮮半島経由より海路で直接来た方がいい >>59
客観的に見て、世界から見たら東アジア人の顔は見分けつかないほど似てるけどな
「イギリス人とドイツ人にはDNA上ぜんぜん違う!」って当人がいくら力説したって「同じだろw」としか思わないのと同じで >>62
朝鮮半島も当時は優秀な人材も多かったんだろ >>15
変えようがないんだわ。
本来の意味や音を示すものが何も残されていないから。
カタカナの「ヒミコ」にすることさえ出来ないわけよ。
どうしようもない。不本意ながら「卑弥呼」のまま。 >>60
海流的に無理だよ
中国→日本列島は黒潮に乗ればいいけど
日本列島→中国は黒潮を逆流することになるから無理 だから、米の伝来は黒潮に乗って中国から来たんだろうなと思うよ
ただ相互交流は不可能 >>65このルートは?
九州→朝鮮南部(日本支配)→黄海→中国 >>32
そもそも当時朝鮮半島に住んでたのは今の日本人の先祖だしな
それを追い出し滅ぼしたのが今の朝鮮人 まーた奈良のインチキがでてきたか、城だけにしとけ
出雲や北部九州は新羅繋がりなのはいうまでもない
畿内ヤマトの前には出雲の分家があった
畿内ヤマトは百済なんだ(千田はくだらんこというな >>23
大工ってのは船大工からの転職でつぶしが効くんやで
んで日本人の遺伝子には台湾〜琉球あたりで活動していた海の民の
血が濃いんやで
技術の伝来はここら辺からで十分間に合うんやで
あとは伝来のスピードだけや なんでヤマト王権黎明期と言わずに卑弥呼政権なんて言い方をするんだろ 日本人は遺伝子的に中国・朝鮮から渡ってきた渡来人の血が多く入った民族である事は疑いようがないが
中国・朝鮮はたびたび北方民族に侵食されてその血が多く入ってるところが日本と違うところ
日本では北方民族の侵略を受ける事は全くなかった >>73
モモソ姫は大物主に嫁入りしたんだよ
じゃあ出身はどこ?って話
嫁入りついでに旦那の王権乗っ取ったのがモモソ姫 >>73
それはどこにあるか 畿内→黎明期
九州
↓
蛮族 ちなみに白村江やら倭寇やら、漁民だからこそできたこと
半島で支配されて属国に甘んじてる連中にはできん芸当や
渡来系???ノンノン、そんな能動的な芸当はできんよ
ただ連れてこられただけや
好戦的な漁民=古代日本人やで 渡来系も何も吉備の加夜氏が元々朝鮮南部の伽耶の支配豪族で吉備自体半島含めた広範囲の勢力圏持ってただろ。
古代半島の三韓を平定したのは倭国だし邪馬台とは半島から九州、山陰地方含めた勢力圏。
後に出雲と同盟して纏向に村作ったのが大和への流れだろ。 ロマンがある話だね
昔はもっと朝鮮半島と距離が近いのかな、地殻変動で離れたとか。
あの辺結構遠浅の浜辺があったりで、昔はもっと簡単に往き来出来たかも。
帰った嫁追っかけて行ったり。
あの辺の川が氾濫し住民が亡くなったり苦しんでるのをアメノヒボコ達の技術で
川を整備し暮らしやすくなったと祭られてる神社もあるね。
真っ白な陶磁器などの技術もその辺が広めたのか
そういう形跡は結構ある。聖徳太子もあの辺からとかアメノヒボコ同一人物かもとか
いろいろな説あるね。 魏志倭人伝についての解説を受けた限りに於いては卑弥呼自身が後乗りの部族っぽいけどな
南方系の部族で青銅器で在る銅鐸も持って来た
真面目に調べれば調べる程何でも半島経由説が8世紀以降に構築された虚構である旨明らかになりそうだな 日本列島に、最後に入ってきたのが半島南部にいた倭人。
結果、半島南部に近い北部九州が日本列島内倭人(倭国)の
盟主の座にあった。邪馬台(やまと)はその地域の中心国。
5〜600年経った卑弥呼の時代、倭国内の勢力図は変わっていた。
かろうじて邪馬台が持つ歴史的権威のお陰で、倭国大乱の後、
卑弥呼が、女王=権力を持たぬ権威として、倭国の名目上の盟主となった。
権力と権威が分離した瞬間だった。
その後、その権威を奪取した権力が、ナラ(=蒙古系。蒙古語「太陽」の意。)
邪馬台(やまと)の名を奪い、大和(やまと)と名乗る。 卑弥呼を使って
おおよそ2000年前から日本は中国領土だったっていう証拠としようとしているやつな 権力闘争で落ち延びた役人一族がたびたび日本に逃げてきたとか言う話もあるよね
教育レベルが高いから色んな知識やノウハウも日本に持ち込んだとか 海を渡ってきた朝鮮人が日本を支配したってすごいなw >>88
朝鮮人じゃない。海を渡ったのは日本人(倭人=日本語話者)。
朝鮮人の基となる勢力は、あとから北からやってきた。
要するに、お前らは日本人(倭人)との混血雑種www アイヌや琉球人は90%近い縄文人の遺伝子を持っているが、日本人は15%しかない
渡来系の子孫が西側から勢力を拡大して土着の日本人を駆逐して同化していったと考えるのがつじつまが合ってる 日本人のルーツは朝鮮もいるだろうけど、それは一角に過ぎないだろ
何かのニュースでなんとかスタン共和国のニュースで石破そっくりの男が映っていたり
一つの民族というわりに色白色黒・顔の濃いの薄いのタイプが多すぎ 狗奴国も卑弥呼と対立はしてたが九州邪馬台圏の分裂国だよ。卑弥呼没後最終的勝者は神武であり字の如く自分を神ヤマトと呼んでるんだからそのまま吉備、半島勢力自治権掌握して近畿に渡ったのが始まり。
素戔嗚は神武にダブらせてるし寧ろ呉の太伯の子孫と半島倭人の融合と言うべきじゃね。 聖徳太子=厩戸の王子に建築に必要な技術集団新羅の王子達を
呼んだとか
王子はブレーンに新羅の王子と交流あったみたい
仲良かったっぽい。
沢山土器やら出てるんでしょ あの辺は。 おまえらは少しは徐福について語れよ
邪馬台国の開祖は徐福である >>82
魏志倭人伝の記述は、どこをどう読んでも
松浦→糸島→北九州→播磨→畿内
の瀬戸内海ルートや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています