●オーストラリアの代わりにイギリスの囚人が送り込まれるようになったタスマニア島は、
毎年4千人位、1853年までに6万9千人が送り込まれたという記録がある。
これはイギリスから送られた囚人の約半数であるそうだ。

●タスマニアには旧石器時代のような生活を送っていた原住民がいて、
ブーメランという唯一の武器(弓や矢を知らない)を使って鳥や獣を捕っていた。
このタスマニアの住民こそ、イギリス移民史における最大の
「悲劇の民」であった。
すなわち、イギリス白人の手によって「黒人狩り」が行われ、
タスマニア原住民は根絶させられたわけである。

●その状況が『豪洲聯邦』(昭和17年9月刊行 宮田峯一著 紘文社→焚書)に残っている…