【古代ロマン】卑弥呼の宮殿との説もある纒向(まきむく)遺跡、大型建物を体感できるよう整備進む/奈良県桜井市
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◆纒向遺跡で大型建物跡を体感
邪馬台国があった場所の有力な候補の1つ、桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった女王・卑弥呼の宮殿との説もある大型建物の跡が、柱を立てるなど建物の大きさを体感できるよう整備されました。
纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての集落跡で、大型建物の跡が見つかるなど、女王・卑弥呼が支配した邪馬台国の所在地の有力な候補のひとつとされ、国の史跡にも指定されています。
しかし、建物跡などは発掘調査のあと埋め戻され、訪れる歴史ファンからは「遺跡がどこかわからない」などの声が寄せられていたため、桜井市は、発掘調査の成果を現地で体感できるよう遺構を整備しました。
「卑弥呼の宮殿」とも言われた大型建物を含む3つの建物の跡に、柱に見立てた高さ1メートルほどの杉の丸太、計65本が立てられ、建物の大きさや位置がわかるようになりました。
整備に当たって、桜井市はふるさと納税で全国に寄付を募り、約2000万円の整備費のうち1割程度が考古学ファンなどの寄付でまかなわれたということです。
桜井市は、「多くの人に寄付してもらい感謝したい。
当時の様子が体感できるよう整備したので、ぜひ纒向遺跡に足を運んでほしい」としています。
NHKニュース 2018/04月06日14時30分
http://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/2053679891.html けっこう知らない人が多いけど魏志倭人伝に書かれてるのは邪馬台国じゃなくて邪馬壱国なんだよな
議論の根本から間違ってるのに認めようとしない
九州北部=邪馬壱国
奈良盆地=邪馬台国(ヤマト)
これが正解 >>3
でっかい高床式木造建築の痕跡が発掘されただろ もうプラスに邪馬台国スレが三つもあるな
何か強烈な焦りを畿内派から感じる 税金の無駄
年寄りの喜ぶカビの生えた歴史よりも自然科学に税金投入しろ 近畿説なんてもう考古学や歴史家の大御所たちが死んだら誰も支持しないでしょ?
彼らの顔立ててるだけ >>6
ところが「壱」は国の名前じゃないらしいんだよね
魏から見て評価が高い属国に「壱」を付けた
評価の低い属国は「弐」だったらしい
その説が正しいなら邪馬壱国の正しい国名は邪馬国になる >>12
邪馬国ってどこよ
山の国?
そんな地名の場所あったっけ? 全く関係ないだろね
記紀すら関係ないスタンスなんだからさ >>14
卑弥呼がアマテラスオオミカミ(伊勢神宮内宮)で、姪のトヨがトヨウケノオオカミ(伊勢神宮外宮)という説もあるよ >>16
山のつく地名は山ほどあるけど、山という地名は無いよな
てか、あるんだよな、その説から言えば耶麻とかいう場所が 宇佐神宮が後付けなら伊勢神宮なんか完全に後付けだろ >>14
卑弥呼は九州北部
ヤマトは奈良盆地
卑弥呼は3世紀
倭の五王(ヤマト)は卑弥呼の死後140年も経ってからの話 >>1
「桜井市」じゃなくて、「奈良県桜井市」だろ
ちゃんと県名も入れて報道しろよ
政令指定都市でも「神奈川県横浜市」だぞw >>18
現在まで全く変化せずに地名として残ってると考える必要はないよ 九州内で、いわゆる邪馬台国に接して圧迫を加えていたのが
大和の勢力圏である、いわゆる狗奴国だと思うな
基盤も勢力も弱い連合国家である邪馬台国は、大陸に助勢してもらいたかったんだと思う
けっきょくは神功皇后と武内宿禰に滅ぼされてしまうが 金日成は日韓併合後の平壌生まれなので日本人として生まれているね >>21
引っ張り合いと言うけど現実には奈良説は合理的な論拠が一つも存在しない
卑弥呼が北部九州なのは本当は誰しもが理解してるけど思想的な理由(例えば万世一系など)で認めたくない
つまり学術よりも感情を優先させている >>12
邪馬台国とは別に邪馬国という国もある。
倭人伝を嫁 >>27
色々あるみたいね
福岡県内という説もあるけど魏志倭人伝の記述と整合するのか不明 >>29
逆流する理由もないし
起点もそこしかないから
豊と八幡はセットで九州から畿内でいんじゃない
そういや八幡もヤハタとハチマンて微妙な感じがするな >>33
なるほど
でもそれは邪馬壱国ではないわけね
あえて言えば邪馬弐国か >>33
だから日本には山がつく地名なんて山ほどあると言ってるだろ
何の矛盾もないよ
奴国だって2つ出てくるだろ >>32
起点の帯方郡からで計算するとピッタリ一致するみたいね 水路が発達してたんでしょ
きっと倭人伝にも書いてるよね >>33
半島南部の倭人地区には、弁韓時代「〇〇邪馬」国があるで。
=「○○山」、即ち、山手にあった邑(くに)だな。
一方、「〇〇彌凍」国は複数ある。
=「〇〇水戸」、要するに水辺の邑だな。
列島に渡って、下の語ができたんだろうな。
やまと(山戸) = 山手(守りの堅い盆地)の邑 → 盟主の座に
みと → みなと(水戸) → のちに一般名詞化し 「港(みなと)」 に
(※ 茨城県水戸市は、そのまま古語が残ったね。) >>45
九州説は地元の同好会や商店街の町おこし担当者が5ちゃんで暴れてるだけだからな 不弥国までは九州の中だろう
投馬国からの水行をどう取るかだよなあ
里程から日程に変わっているのは何故かという疑問もあるし >>51
間違えた
誤) 投馬国からの
正) 投馬国への >>52
投馬と邪馬台だけは遥か遠くの大国というニュアンスはあるな 場所が決まらないといつまでたっても大河ドラマにできない >>59
場所が確定したとしても、時代考証を誰が担当するかによって、まったく別物のドラマになりそうだけど… こんな全く関係無い場所にミスリードして税金使い込んでんじゃねぇよ 考古学的には邪馬台国は埼玉県ということで決着がついている。 >>64
うむ。
東松山の和菓子屋で、「卑弥呼の鏡」を見た気がする。 近畿は距離で言うなら九州で上陸せずに海路で瀬戸内海渡って摂津迄行きゃ良いだけだろ。
近畿は根本的に狂ってる。 邪馬台国○○支部ってことで
日本全国の邪馬台国候補地が連携したほうが得なんじゃないの
たまにあつまってお祭りやって、今年の邪馬台国論争はアンケート投票により纒向が二連覇を達成しました、とか >>56
そうでもないけど謎は解明したいのが人間心理
まあ、文字資料に登場する日本最古の支配者だから史学的な意味はあるよ
と言っても飽くまでも日本列島の一部にすぎない「倭連合国」の女王だけど >>69
確かな証拠と言える金印・支那銅鏡・絹布が九州だからね
最も重要な物的証拠が畿内からは出土しないのだからどうしようもない >>74
邪馬台国に関連する金印など出土したのか?
三角縁神獣鏡は日本中から出土してるし。 >>75
知ってて惚けてるのだろうけど福岡県で漢委奴国王印が出土してる
畿内を中心に出土する三角縁神獣鏡は間違いなく国産銅鏡
北部九州から大量に出土してるのは支那王朝から賜った支那製銅鏡
同じく支那王朝から賜った絹布の出土も北部九州が中心
つまり支那との交流を裏付ける物的証拠は北部九州に集中していて畿内からは出てこない
物的証拠が出土しないということは支那王朝との交流はなかったと考えるのが合理的 ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ´∀`)-( ´,_ゝ`) - (^∀^ )ヽ <田川はやばいよ
(_) 邪 (_)| 卑 | | 田 (_)
| | .| | | ∧_∧ | |
| | ,,,,,,,,,,,,| | ∧_∧ (`ハ´ ) <周りを見るヨロシ・・・
| |ミ,,,,,,,,,,;;ミ < `Д´>/´ 魏 (___) 皆九州説に行ったアルヨ
九州 >(´<_` )∪ ヽ| / )
(_/ 鏡ヽ | |___ .(⌒\___/ / 邪馬台国はヤマト国、葛城山系以東の奈良盆地一帯です。邪馬台は単なる地名です。ヤマトの地が卑弥呼を共立した勢力に征伐され、都が置かれました。
纒向の外来系土器、円形周溝墓などがその証です。殉葬などそれ以前になかった風習が持ち込まれたことも、新しい別の勢力がヤマトの地を支配した傍証になります。
女王国、大和朝廷を作ったのは、纒向遺跡の外来系土器の中心である出雲など山陰の勢力、尾張三河など東海の勢力です。また阿波や宮崎や遠賀川の石神なども卑弥呼共立に加わりました。
それらの勢力の主体は、縄文系勢力と縄文系勢力に半分乗っ取られた古い渡来人系勢力です(ヤマツミ、ワタツミ)。
畿内や九州北部沿岸部の勢力はこれらの勢力に征伐されました。 近畿は元々縄文系勢力も渡来人系勢力も仲良く暮らしていた。
温暖で河内湖の水資源も豊かで稲作も盛んになり、豊かな地域に発展したんだろう。日本書紀でいう食国、芦原中津國。
スサノオが豊かな田に嫉妬して度々荒らしにきたとあるだろう。近畿周辺の東海や山陰の勢力が嫉妬したんだな。
そして征伐に来る。
倭国大乱、近畿征伐、記紀でいう神武東征だ。
結果できたのが、山陰と東海の勢力を中心とした大和朝廷だよ。
近畿は大和朝廷の最初の討伐ターゲットだったんだな。
大和朝廷は4世紀前後四道将軍で関東東北を征伐する。 三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。 >>64
え?マジ!?
もしかして埼玉古墳群の中に卑弥呼の墓があるのけ? ◎纒向には、万単位の人々が暮らし、土木作業を行っていた。纒向集落は、ヤマトの地が外部勢力に征圧され、その結果できた集落。
纒向は、ヤマトの地を征圧した兵と徴用された地元民が万単位で土木作業に従事した大集落。
卑弥呼は鬼道で民を纏める役割を担っていた。 (教化)
さらに4世紀に突然消失し武器などの遺留物が無いこと(もぬけの殻)を考えると、記紀の四道将軍の記述と合致する。
◎纒向は、4世紀に意図的に解散し、民は兵として全国平定に駆り出されたと推測できる。 魏志倭人伝
邪馬台国の官
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。
邪馬台国の官の筆頭
伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。
伊支馬、生駒、生馬、伊熊、猪熊、生目などの地名が、ヤマト、出雲、三河、遠賀川、宮崎に見られる。
何か関係あるのか? >>85
村井康彦「出雲と大和」(岩波新書)では、伊支馬、弥馬升、弥馬獲支には
それぞれ歴代天皇を充てているね。
・伊支馬はイコマだから、伊久米伊理毘古伊佐知命の垂仁天皇。
・弥馬升はミマスだから、御真津日子訶恵志泥命の孝昭天皇。
・弥馬獲支はミマキだから、御真木入日子印恵命の崇神天皇。
どっちにしろ牽強付会だとは思うがw 生駒は火の神。
生馬も藁が巻きつけられ、荒ぶって燃えると自らが燃えるようになされている。火の神か。
焼畑と何か関係あるのかな。
焼畑の遺跡の分布も気になる。
古い海神。BC1000年頃水稲栽培をもたらした勢力か?陶塤と関係あるのかな。
陶塤は、宗像以東、周防出雲丹後半島など日本海側中心に分布。
水稲栽培が伝わった時期、緯度を考えると殷からの難民がもたらしたのか。
殷に纏わるもの、亀ト、河伯信仰、生贄など。
カミイクスビ、イノヒメ
クマノクスビ
クスビは奇し火
クマは篭った、奥まったという意味か。
イノクマ、生馬、生駒、伊熊、猪熊と何か関係あるのか。イン+クマ? >>76
当時、九州に度を越したコレクターがいて、全国からかき集めたものかもしれないぞ。 もともと宮崎にいた勢力が津波で壊滅的になったんで生き残ったのが津波のないとこ探して内陸の奈良に落ち着いたって気がする。食生活とかかなり違う。 九州にあった邪馬台国が
東方征伐で近畿まで来て
そこでヤマト王権になった
で良くね?
両方で良くね? 邪馬台国→ヤマト王権
この説が一番頭悪い
この説を土台に考えてる馬鹿(主に奈良側)が邪馬台国の位置に拘ってる >>94
邪馬台国
ヤマト王権(大和朝廷)
なんで似た名前なんだろ? >>86
出雲国風土記をまだ読んでないんだよな
イスケヨリヒメのいた村は出雲から国譲りによる避難民の村と考えているんだけど 四国にあった邪馬台国が喧嘩別れして
俺は九州にいくからお前はついてくんなあっちいけと 吉野ヶ里辺りに邪馬台国があったんなら
末蘆国(唐津)に上陸してから
伊都国(糸島半島)やさらにその向こうに行くのは遠回りだろ
邪馬台国は奈良にあって途中無事朝貢してきたことを
投馬国(出雲)に報告してから奈良に帰る決まりだったんじゃね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています