>>144
お前は18世紀の人間か?
少しはググれよw

「海底ケーブル」 Wikipediaより

概要
海底ケーブルは19世紀から国際通信ネットワークとして重宝された。
しかし民間資本であるため必ずしも細かな実態は公にならない。
ケーブルを傷つけないよう必要に応じて漁協などには具体的な敷設域が通知される。
現在の概略的な敷設状況はインターネット上で見ることができる[1]。
いまや北極海航路までもが敷設に利用されている。

水圧への耐圧力や耐水性、サメなどの水棲動物による噛みつきに耐える強度が得られるまで、かつて使われた銅線仕様のケーブルも、現在主流の光ファイバーケーブルも、それぞれの開発において多くの試行錯誤がなされた。
しかし、膨大な敷設コストや第一次世界大戦にあったような人為切断、そして東北地方太平洋沖地震にあったような津波被害は避けられない。

国際間の電話やファクシミリ、テレビ中継において、戦間期以降当分は無線局やインテルサットなどの静止衛星を経由する短波無線がもてはやされた。
しかし海底ケーブルは無線よりエコーが少ないので、再び世界の海に張り巡らされた。

2003年 - 2013年時点で供給シェアの半分近くをアルカテル・ルーセントが占めている。
その企業系譜はシーメンスとガタパーチャまでさかのぼる。
かつてAT&T のケーブル部門であった TE SubCom が2位で3割。NECが12%を生産している[2]。
一方、光ファイバーケーブルへの投資は2001年がピークであった[3]。他に華為技術やタイコも主要メーカーである。

海底電線は、便宜的に淡水下のものもふくむ。
後に述べるテルコンは、ベネズエラ油田のポンプを動かすのに湖水下の送電線を用いた。テルコンの海底電線は当時からポリエチレン加工であった[4]。

それからトーマス・エジソンや AEG などがシカゴやベルリンを中心に電力系統一般を開発した。
そして1928年までには、リヒテンシュタインの International Cable Development Corporation を管理会社とする国際電線カルテルができていた[5]。
スイスを中心としてヨーロッパ16か国の企業がこれに参加した。
やがて1950年代に高圧直流送電線を製造する技術が生まれてスーパーグリッドが敷設できるようになった。
現在ではデザーテックが推進されており、福島第一原子力発電所事故の後は自然エネルギー財団がデザーテック財団と提携してアジア版スーパーグリッドを構想している。
グリッド=電力系統は海底ケーブルでグローバル化する。
(後略)

歴史
海底ケーブルは帝国主義、資本主義の発展に伴い世界中に敷設されてきた歴史を持つ。
イギリスの君臨した19世紀、世界の電信ケーブルは実に3分の2を電信建設維持会社テルコンが製造した。
残りはシーメンスや後述のガタパーチャ社[15]などが作っていた。
ケーブルと関連設備の技術的知識は、テルコンとイースタン・グループによって寡占された。
なお、テルコンは British Insulated Callender's Cables(BICC, 現Balfour Beatty; 英仏海峡トンネル・アクアティクス・センター・シェフィールド・スーパートラム・マニラMRT-2線・クイーン・エリザベス病院・イーストロンドン線などを建設)に吸収された。
1930年代初め、BICC はナショナル・グリッドの建設に大活躍した。

最初の実用的な海底ケーブルは1850年、イギリスのドーバーとフランスのカレーの間に開設され、翌年に開局。
以降、様々な研究が重ねられ、大西洋横断ケーブルが1858年に開通した。これは2か月半しか稼働しなかったが、1865年に再稼働を果たしている。
続いて1903年に太平洋横断ケーブルが商業太平洋海底電信会社(英語版)によりサンフランシスコ-マニラ間で完成した。

1866年、利用料は最初の20語以内が基本料金20ポンド、あとは1語1ポンド。一般的な労働者年収が60から80ポンドの時代、法外なシステムであった。
1890年で1語0.5ポンド。先の大西洋横断ケーブルは当初1分あたり10語前後しか送れなかったものが、1894年には50語以上伝達可能となった。
商業用の定型文は語数節減のため暗号化された。また守秘のため欧州外を宛先とするものは1890年で7割も暗号化された。
1895-1898年、英印間通信の9割は商用であり、その9.5割が先の方法で語数にしておよそ1/30ほどに短縮された。
20世紀の初頭から戦争で無線通信が使われ始め、これと競合したケーブル通信は価格が徐々に安くなった。[16]