東京が江戸の頃から江戸と地方は扱いが違う

江戸期の天保の大飢饉でも商品作物の商業化で農村に貧富の差が拡大して
各地で餓死者を多数出した
幕府は将軍様のいる江戸だけは市中21ヶ所に御救小屋(5800人収容)を設置したが、
見捨てられた地方の食えない者は70万人を超えていた。
米価急騰も引き起こし
当時の日本の推計人口は1833年からの5年間で125万2000人減少した
人口減少幅の規模としては天保の大飢饉の50年前に発生した天明の大飢饉に匹敵する

昔から江戸だけが特別 地方は見捨てられた土地