>>323
秀吉当時の内堀外堀は現在とほぼ同じぐらいの大きさで
その周辺にあった川も含めたら、それぐらいの大きさになったかもしれない
大阪城東は猫間川と平野川があり
北側は中之島の川は当時の淀川で、現在よりもっと川幅が広かった
毛馬から西部分の淀川は、明治ぐらいだったか?で新たに作った新淀川
西側は阿波座ぐらいから西は海で島のようになってた
南側が最も手薄で秀吉晩年に堀を作った、現在の長堀通がそれになる
大阪冬の陣では徳川の主力は南側に集まり、長堀通の南に真田丸を設置し応戦
現在の明星高校辺りにあったとされる