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【船】大和とともに沖縄特攻…駆逐艦「磯風」?鹿児島沖で発見
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0001ガーディス ★
垢版 |
2018/04/17(火) 06:23:50.96ID:CAP_USER9
 太平洋戦争の末期、沖縄への海上特攻に向かう戦艦「大和」とともに沈んだ随伴艦らしき船が、鹿児島県沖の水深約440メートルの海底で見つかった。2016年5月、総合海事会社が探査。今年2月、専門家がその位置や映像記録を基に、駆逐艦「磯風(いそかぜ)」の可能性が高いとの見解を示した。沈没から73年。磯風の元乗員たちの心には、いまも最期の姿が焼き付いている。

沖縄海上特攻1945年4月1日に米軍が沖縄本島へ上陸したことを受け、旧海軍は戦艦大和を沖縄に突入させ、敵艦船を攻撃するという作戦を立案。随伴艦9隻を含む海上特攻隊を編成した。7日、鹿児島県沖の東シナ海で米軍機の攻撃を受け、大和をはじめ6隻が沈没。約7200人の将兵のうち、4千人あまりが戦死した。

 1945年4月7日夜、米軍機から至近弾を受け航行不能になった磯風は、僚艦「雪風(ゆきかぜ)」に沈められた。「二二四〇 磯風 雪風ニテ砲撃処分沈没」。磯風の所属部隊、第2水雷戦隊の戦闘詳報には、こう記されている。

 被弾したのは午後2時前。磯風は大きく揺れ、甲板下の機械室が浸水した。別の詳報は「機械室満水航行不能」と記している。

 「(爆撃してきた米軍機に)機銃で応射したが、間に合わない。舷側がぺしゃんこになって水が入り、船の中は真っ暗になった」。砲術科の旋回手だった橋本(旧姓貞藤)武生さん(94)=広島県世羅町=は当時を語る。


 橋本さんは艦橋上の区画にいた。攻撃目標に照準を合わせ、主砲要員に射撃を指揮する小さな部屋。「右旋回いっぱーい」。砲術長の指示で目に当てた照準装置を回そうとした時、カーンという音とともに衝撃が走った。

 橋本さんの目の周りに、照準装置が食い込んだ。「けがして、何もできない。外へ出て、艦橋の手すりにつかまっていた」

 おぼろげな視界の先で、大きな船が傾き、沈んだ。至近弾を受けてから約30分後。「世界一の戦艦」とも、「不沈艦」とも呼ばれた大和だった。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180413001092_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180413001097_comm.jpg
http://www.asahi.com/articles/ASL463VS4L46PITB00M.html
0238名無しさん@1周年
垢版 |
2018/04/20(金) 10:01:23.10ID:g5/BVg1M0
まあ、外車もフェラーリとかポルシェとか社名だけで済ませること多いもんな
0239名無しさん@1周年
垢版 |
2018/04/20(金) 11:50:59.07ID:wKbTWe9K0
>>216
少なくとも最初の特攻は現場からの要望だぞ。特攻のアイデア自体は戦前からあった。侍従武官だった城英一郎大佐によるもの
ただ、確実に消耗する戦法として上層部からは相手にされず開戦後も何度も要望だしては却下されてた

マリアナ沖と台湾沖での大損害のあと現場の海軍航空隊ではどうせ死ぬなら体当たりという声が高まってしまった
とくにベテラン戦闘機乗りは未熟な爆撃機を護衛しては彼らが為すすべもなく全滅するのを目の当たりにしていた
特攻を率先して提案した部隊の一つ、第341海軍航空隊はエリート部隊で最新鋭機紫電を優先配備されるほどだった
こうした現場の声に第一航空艦隊司令官大西中将は折れ、特攻容認に舵を切ったのだ
直前の台湾沖航空戦で敗北を悟った第26航空戦隊司令官・有馬正文少将が自ら自爆体当たりを敢行したのも決断に影響した

ルーズベルト存命中は降伏という選択肢はない。こちらが戦える力がなくとも気の済むまで付き合うしかなかった
トラック空襲以降、米軍は徹底して尋問用以外の捕虜を取らない方針であり、個別単位でも降伏は不可能だった
ハルゼー提督なんかはこの命令を気に入らないと言ってるがキング海軍作戦部長の命令である以上は従うしかない
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