【既に国民が認知すべきレベルの事実確認はなされてしまっている】
国民が今回の騒動で政府側に確かめたかったのは、政府部門の現在性とでも呼ぶべきものだ。
「現在進行形の社会性」と言い直しても良い。
ある巨大な組織で大きな問題と目される事態が生じているように見えるとき、担当部門が
1)その問題に誠実に向き合おうとしているのか、
2)誤魔化し続けてうやむやにしようとしているのか、
3)誤魔化すだけでは足りず、あわよくば騙してやろうとさえしているのか、
そういう点を多くの国民が確認したいと思っていたということだ。
折しも国会では財務省による前代未聞の公文書改竄を財務省自身が告白するという形で表に出てきたところだった。それが底流にある。
認めたまでは良いだろう、評価する。
だが物事には次の段階がある。
1)では、なぜそのような改竄に手を染めてしまったのか、その根本原因は?
2)前代未聞の行状を告白したのに比較的平穏なのは既にこの手の文書改竄は実は常習化していのではないのか
3)再発防止策としてどのようなものが考えられるか、少しは真面目に考えているのか
4)今回の騒動を収束させ次の段階に進むのに、けじめとして誰が不祥事の責任を取るのか

国会で財務省が防戦を強いられる中、事務方の長であるはずの事務次官の影がいかにも薄い事に国民間のフラストレーションは高まっていたはずだ。
「いったい事態に対して誠実に対応するつもりはあるのか、そもそも対応能力自体があるのか」
そのような疑いが臨界寸前の核燃料のように燻っていたときに、いみじくもこのスキャンダルが表に出たのであり、
誰にでも分かりやすい危機についてどのような対応能力を示すのか、その帰趨は格好のリトマス試験紙になっていたのだが、結果はご覧の通り、稚拙な言い訳と逆ギレめいた恫喝を繰り出すという、終始、保身のみにあくせくする姿をさらけ出すものでしかなかった。
この時点において【すでに国民が認知すべき事実確認はなされたのだ】
すなわち「ああこいつら、問題に真摯に向き合う気もなければ能力もないんだな」という確認が、それなりの社会生活を営む国民間で広くシェアされたのである。
この事務次官スキャンダルは、この国が今後、どこまで堕ちるのか、本当に分からなくなったという危惧の裏付けをする歴史的傍証の一つとして刻印されたという事なのである。