>>232続き
では南部の奴隷制が合理的であったか?という問題が出てくる

1820年代にイギリスは奴隷制を事実上廃止に向かう
具体的には、ジャマイカを中心とするサトウキビ栽培の三角貿易での悲惨な実態が問題になり
奴隷の売買を禁止する法律が成立し、さらに奴隷の所持も禁止されていく

テキサスなどのアメリカ南部の良質な綿花地帯は奴隷労働に依存していたから
こうしたイギリスの奴隷廃止には絶対に賛成できない事情があった

このあたりから、アメリカ南部では、奴隷制は合理的だし残酷でもないというプロパガンダが流行するのである
この宣伝はアメリカ北部では全く流行しないで、むしろ南部の残虐性を強調する結果になり
1830年代から北部では奴隷禁止の一大運動が起きることになる