モスクワももともとは商人町でどれい貿易の中継点だった
モスクワ人はデブで毛皮のコートを着て宝石をたくさん持っていたという

奴隷というのがたいへんもうかるビジネスであり、アメリカ合衆国に黒人がわざわざ船で
輸入されたのも、白人に言わせれば、ユダヤ人がウリ、キリスト教徒は買っただけだという

そもそも奴隷という風習がアラブやペルシアの気風でありユダヤ人が奴隷販路を持っていて
中東のみならず欧米に売り広めた。
ちなみにイギリス人などキリスト教徒もアラブの白人奴隷だった

ヴィクトリア期イギリスが国策として反奴隷に転換したのは、、アラブの太守がイギリス人を
どれいにし、これが国民世論の憤激をまねいたからだ(あまり知られてない)

ナポレオン戦争中は我慢していたが、戦後は勇将ペルー提督を派遣してアルジェの太守に
キリスト教徒の奴隷開放をもとめる。拒否されると戦列艦の砲撃がはじまり要塞も反撃した
ペルーは市内にいた1,000人の奴隷を解放しイギリスに凱旋、大英雄となる

この行動によりペルー提督は貴族に叙爵、姓を改めてエクスマス卿を名乗ることになる