>>427
それもちょっと違うよね
南部の綿花奴隷を潰した結果、南部の綿花は壊滅的な打撃を受けて
それ以後南部が世界最高の綿花産地の地位からあっというまに転げ落ちてしまう
南北戦争を契機に世界の綿花の中心がインドなどに移行してしまったからである

結局のところ北部からすればアメリカ全体の経済を考えて南部の奴隷制度を潰したのではない
単に、アメリカの権力の主導権を巡る争いで南部を潰せればそれで良かったのである

このように見ると産業が発展し野蛮な奴隷制度を批判した北部という見方もちょっと北部を褒めすぎなのである
産業資本と農業資本の両方が1830年代から急速に勃興した結果、
激しい主導権争いが生じ
そのキーワードに浮上したのがたまたま奴隷廃止運動だったと見るのが適切だろう

このような経緯がその後の黒人解放にもかなり影響しているのである
つまり黒人の地位を引き上げて人間らしい暮らしをさせたいとする奴隷解放の人道的理念はあくまで副次的なものだったから
その後も黒人の地位は、およそ人間的とは呼べない酷い低賃労働に押し込められることになった