>>464
判決・決定の中でどれが判例でどれが傍論なのかについて問題があることはすでに述べたが…、その点につきいずれの立場をとるにせよ、傍論というものが存在することはたしかである。それは、その裁判理由をより理解させ、その説得力を強めるために書かれるのが通例で、
いうまでもなく判例のような拘束力を持たないが、将来の判例を予測する資料としては
意味をもつ場合があることに注意する必要がある。
 傍論といえども大法廷または小法廷の裁判官の
全員一致もしくは多数の意見として表示されたものである。
そして、それは将来他の事件を裁判する際にはそれ自体判例となるか少なくとも判例を生み出すものを含んでいることが少なくない。
それには、判例のようなあとで変更されないという制度的保障はないが、その意見に加わった裁判官がその見解を変えることは少ないだろうと考えると、
それもまたその程度において 将来の判例を予測する材料だということができよう…。その意味で、傍論にも1つのはたらきが認められるのである。
(中野次雄編『判例とその読み方〔3訂版〕』(有斐閣、2009年)97頁)

あきらめろよー