【祭】三社祭、浅草寺からの注文で「今年で最後」の危機
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三社祭、浅草寺のからの注文で「今年で最後」の危機
毎年200万人近い見物客がくることで知られる東京・浅草の三社祭が、危機的状況にさらされているという──。
エッサ、オイサ、エッサ、オイサ、エッサ、オイサ――地鳴りのような低い声が下町に響き渡ると、東京に初夏の訪れが告げられる。
浅草の三社祭。
200万人近い見物客もさることながら、全国各地から1万人ともいわれる「担ぎ手」が集まっての神輿の練り歩きは圧巻だ。
今年は5月18日から3日間、捻り鉢巻きに、半纏をまとった男たちが、濁流のように下町を駆け抜ける。
しかし、今年の本番を前にして、担ぎ手団体の幹部が頭を抱えていた。
「700年以上の歴史を持つ三社祭も、今年で見納めかもしれません。浅草寺サイドから祭りの時間と場所を制限されてしまって…」
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
NEWSポストセブン 2018年5月16日 16時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/14722981/ >>728
そうだよな伝統を破壊するのは外国勢力をのさばらせる原因になる
自治会で地元のお祭りを死守せねば。その際はやくざ排除でなきゃな
だいたいね、日本の任侠やくざは朝鮮極道どもにほとんど滅ぼされちまったからな
今のやくざ=朝鮮極道だよ
三社祭もねぇ>>53みたいに、朝鮮やくざをご神体のように日本人に担がせ
それを眺めて在日どもがホルホルする場にしちゃだめだよな これって浅草(あさくさ)神社の行事なんだよね
浅草寺(せんそうじ)は関係ないんでしょ
ややこしい話 >>86
> ・・・何故、トランプが坂門店で会談するのか、まさかと思ってる選択肢の一つに奇襲攻撃もありそう
> そう思ってる俺も、みんなも
> 寄りにもよって目の鼻の先で会談するのにありえんわw
>
> そうなると北のカリアゲ君もそう思ってるって事だよ
> トランプは戦略として既に成功してる域にある
rreq
>>642
> >>392
> > ここは最初から神輿。浅草なんて江戸の外れで、格式高い山車を出せるほど都会じゃなかった。
>
> ウソを言うな
> 三社も昔は山車があったんだよ
> https://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/about/
> 昔は今よりはるかに多い町の単位で神酒所を作って祭をやってたんだよ
>
> 地元の人は誇る気持ちはあっても江戸三大祭に入ってないのは知ってるし、神田・山王・深川が天下祭であることは承知してるよ
> だいたい山車が上で神輿が下というは392の感覚で、上下関係は神道ではないでしょ
> どっちも祭の期間、神様に乗っていただくもの
>>642
天下祭って神輿が江戸城に入った、山王さん、明神様、根津神社じゃないですか? 宮出し時間が6時だと間に合わないなら5時半からになるんじゃない? >>729
朝鮮総連の支部も敷地にあったみたいだよ >>141
うんちビル、スカイツリー、ビューホテルはいいのにあれはダメこれはダメってなんなんだか >>1
考えてみたら神輿って神道の領分な気がするけど
これらのお祭りはお寺でやってるんだね >>718
暴対法があろうがなかろうが関係ない
ヤクザが治安の役に立つなんて幻想は昔のものだ
今のヤクザは治安なんて悪けりゃ悪いほど自分たちの利になると考えている >>740
神社のお祭りだよ
お寺と神社が一緒になってるところは多いからね、江戸時代から明治に別々にするようにしたのかな
その場合は氏子と檀家が一緒なんだろうかね
神社が先でお寺が後のところが多いと思うけど
ここはお寺が先なんだね >>201
ニコ生主界の髪ですよね?
悪そうですが一般人には無害らしいですよ >>148
なんで右端はスリーパーホールドしてんだよ >>736
次の鳥越祭も宮出しは7時だぞ。回るのは18ヶ町だけど提灯を着ける等夜祭準備で夕方1時間宮神輿動かない時間帯がある。
渡御が一番長い西は危険地域を避けて最北部浅草町(泪橋の先は南千住)の渡御のためにトラックの運搬が昼にある。
宮入りが一番遅いのも西。例年20時半過ぎ。東は人がいい町会が多いためにすんなり渡御して
19時前には真っ直ぐ象潟から宮へ入ってしまう。
雷門から突入の南もすんなりだが商店街近くの渡御を見て二天門回りで反対側に回り込んで東待ち構えようとしたら
おばちゃんから「お兄ちゃん二之宮もう宮入っちゃったよ」言われた位。 年に一度神様が宮神輿に乗って各町にやってくるのが祭礼なのに
町神輿なるものが各町にあって連合渡御するなど本来の趣旨からしておかしい ます高橋組とかかいてある半纏禁止にしたらよくね
刺青の人も参加禁止に >>689
浅草寺境内を通らないと、神輿が浅草神社から出られない! 今から向かいますが、初めてです。
どの様な所を見て、見所教えてください。 >>753
>>53
これが三社祭りです。しかと目に焼き付けておきましょう。 観光センターからも見えるんでない?
でも氏子達の宮出しが1番人気あるのかと思ってたよ >>753
迫力の宮入り見たいなら浅草寺・花やしき裏の5656(ゴロゴロ)会館だが込んでて多分入れないよ。 >>753
スマホのサイトで宮神輿(神様が乗ってる本物の神輿)の位置を確認して、とりあえず地図画面を片手に追いかける。
何の宮とかとりあえずどうでもいい。現在地から一番近い宮神輿のところまで行こう。
白い布でぐるぐる巻かれた雰囲気が違う謎神輿がそれ。
裏通りの狭い道を担がれてる時は、見る(拝む)のはそこまで難しくない。あれをみれば三社祭に行ったことになる。
あとは適当に楽しめばいいと思う。外人と一緒にお参りするもよし、モンモンのおっさんを遠目に鑑賞するもよし。 >>754
禁止されてれのに神輿に乗るバカが減らないんだよな。 良い意味悪い意味抜きとして、浅草とヤクザの関係性は昔から切っても切り離せない根深いもの
それをここ最近誰とは言いませんが余所者が来て歴史ある祭りを否定する流れになっていてとても残念です。
これを読んで少しでもその関係性を理解出来たら有難いことだと思います。
■浅草任侠・新門辰五郎の人生■
https://pbs.twimg.com/media/DXcaicWV4AAjI6w.jpg
「火事と喧嘩は、江戸の花!」江戸っ子は喧嘩っ早く、見ていて面白い。
火事が多いせいで、火消しの動きがキビキビしていて見惚れてしまう。そんな意味です。
たくましい筋肉もあらわとなる火消し衣装は格好良く、そこに彫られた刺青も鮮やか。
女性たちはうっとりとした目で、彼らを眺めたと伝わります。
さらには火消し同士の喧嘩は、江戸っ子注目の的でもあり。歌舞伎の題材にまでなったほどでした。
そんな粋な火消し「を組」の頭だった人物が、幕末史において名を残しています。
新門辰五郎――。彼は一体どんな人物だったのか。
「を組」の頭、辰五カ幕末に名を残した人物の中でも、おそらく彼は最年長の部類に入るでしょう。
辰五カは、寛政12年(1800年)頃、江戸の中村家に生まれたとされています。
実家が燃え、錺(かざり)職人だった父が焼死してしまうという、
なんとも不幸なカタチで火事との縁が出来た辰五カは、火消しの道に進みました。
色白で酒が好き、器が大きいけれども、火消し同士の喧嘩ならば一歩も退かない。
そんな典型的な江戸っ子だった辰五カ。テキパキとした男で、火消しとしての才覚は確かなものでした。
辰五カが名をあげたのは、文政4年(1821年)のこと。
浅草で起きた火災現場で纏を立てたところ、さる大名火消しが「を組」の纏を倒したのです。
頭にきた辰五カは、大名火消しを纏で殴り、相手の纏ごと転落させました。
慌てた「を組」の頭領・町田仁右衛門が、仲裁に入ってその場は収まりましたが、
怒りの冷めぬ大名火消し側は、下手人を出すように迫ります。そこで辰五カは、
なんと大名屋敷まで乗り込んで、胡座をかいて座ると、こう啖呵を切ったのです。
「俺ァ逃げも隠れもしねえ! 勝手にしやがれ!!」まるで漫画ですよね。
相手は辰五カの気迫に圧倒され、何もできませんでした。
かくして大名火消し相手に一歩も退かず意地を貫いた話は、あっという間に火消したちの中で話題になり、
日頃から辰五カを気に入っていた頭領の仁右衛門は、ますます彼に惚れ込みます。
文政7年(1824年)、仁右衛門は娘の錦を彼にめあわせました。
こうして辰五カは仁右衛門の娘婿となり、文政7年(1824年)に「を組」を継いだのでした。
江戸っ子、しかも火消しとなれば、ちょっとやそっとで退いたら男が廃る。
弘化2年(1845年)、辰五カにまたしてもそんな局面が訪れます。
北風が吹き荒ぶ1月、町火消し十番組を率いた辰五カは、現場に駆けつけました。
「なんだあ、この野郎! どきゃあがれ!」「どけとはなんだ!」今度も相手が悪かった。
これまた気性の激しいことで知られる大名火消しだったのです。
大々的な喧嘩に発展したこの争いでは死傷者まで出てしまい、
辰五カは責任を問われます。そして「江戸払」(江戸からの追放)の罰を受けてしまいました。
それでも辰五カはしょっちゅう江戸に足を運びます。妾がいたのです。
毎日こんなことをしていたものだから、命令違反が発覚。
反省の色がない不届き者として、佃島の人足寄場(今でいうところの更正施設)に送られられてしまうのでした。 >>763つつぎ
弘化3年(1846年)、辰五カの収監された牢で火災が発生しました。
江戸時代、牢で火災が発生した場合「切り放ち」という処置がとられました。
火災の際に囚人を解き放ち、罪を一等減刑し、戻らぬ者は減刑無しとする制度です。
この処置は「明暦の大火」(振袖火事)の際、牢屋奉行の石出帯刀吉深が、囚人を解放したことが始まりとされています。
このとき辰五カは、もう一人の仲間とともに、たった二人で牢に留まりました。
火の粉を浴びながらも果敢に消火活動を行い、油倉庫への類焼を防いだのです。
活躍は、「遠山の金さん」のモデルとされる北町奉行・遠山景元の耳に入りました。
「流石は火消しの頭である」辰五カは特赦を認められ、火消しとして名声を高めました。
大名火消し相手に一歩も退かない。牢の火災を消し止め、奉行すら感心させる。
江戸っ子は、そんな辰五カにぞっこん惚れてしまいます。
スターのような火消しの中でも、スーパースターとなったのです。
この男ぶりに惚れ込んだのは、何も火消し仲間や町人だけではありません。
上野大慈院別当・覚王院義観までもが、辰五カの度胸に惚れ込み、
浅草寺付近の取り締まりを依頼したのです。これが何とも、うまみのある役目でして。
現在も雷門から浅草寺にかけて、仲見世にずらりと店が並んでいます。江戸時代もそうでした。
https://bushoojapan.com/wp-content/uploads/2018/01/9ab65660c42530f1cad07365e583af61.png
そんな繁華街の取締役になりますと、役得として、
仲見世で商売をしている香具師(やし)、的屋、大道芸人から、寺銭(カスリ・ショバ代)を取れたのです。
辰五カがこの寺銭を押し入れに毎日放り込んでいたところ、床が抜けるほど溜まりました。
才覚のある辰五カは、さらには寄席まで経営し、ますます懐がうるおったのです。
ショバ代で儲ける男というと、現代人ならば汚い奴だと思いそうです。
しかし、当時は逆。「やっぱり辰五カの親分は流石だねえ」「あの人は浅草の自慢さぁ!」評判は上々。
取り締まるべきところできっちりと目を光らせる――そんな有能ぶりを称賛されたのです。
しかも、彼は寛大で器の大きな男です。火事場での喧嘩では一歩も退かない辰五カですが、普段は温厚で温和でした。
部下たちはそんな彼によく従い、言いつけを守ったのです。
浅草の治安のためにも、辰五カはまさにうってつけの男でした。辰五カは浅草寺に新たに作られた門の警備も任されました。
そのときから「新門」(“しんもん”が一般的ですが、本人は“あらかど”と読んでいました)と名乗るようになります。
新門と名乗るようになってから、辰五カの名は江戸では知らない者がいないほど広まり、
子分もどんどんと増えました。町人とも交流のあった勝海舟は、江戸の火消しとも親しくつきあいました。
辰五カもその一人です。粋な江戸っ子同士、気があう部分があったのでしょう。
辰五カは、覚王院義観の紹介で、勝の主君にあたる一橋慶喜とも知り合いになります。
慶喜は辰五カを大いに気に入り、その娘・芳を側室に迎えることにしました。
しかも、慶喜は気安く「ジジイ」と呼びかけ、側に寄ることすら許すほどに。
一方の辰五カも頭脳明晰な慶喜の魅力に惚れ込みむのです。
そして文久3年(1863年)、大一番を迎えます。辰五カは慶喜に付き従い、子分300名を率いて上洛したのです。
すでに70を過ぎているのに洒脱なその姿は、上方の人々を驚かせました。
辰五カは京都と大阪に豪華な別宅を構え、妾を住まわせます。
京都・大阪でも火消しを任され、ますます名もあげ、さらに京都では、
子分たちに梯子乗りを披露させ、人々をあっと驚かせたこともあったとか。
https://bushoojapan.com/wp-content/uploads/2018/01/364be516da0ee3ce6fad2ca0026a92eb.jpg >>764つづき
しかし慶応4年(1868年)、慶喜が鳥羽・伏見の戦いで敗北すると、辰五カも共に大坂へ逃れました。
このとき、慶喜はとんでもない忘れ物をしてしまいます。
家康以来の「金扇馬印」です。馬印とは、合戦場で大将の存在を高らかに宣言するもの。
大坂夏の陣では真田信繁(真田幸村)が徳川本陣へ突撃して、命からがら家康が逃げ出し、
その際、馬印が倒れてしまったという話がありますが、
要は、この馬印を敵に奪われたりでもすれば徳川家の誇りは台無しです。
生死を賭してこれを取り戻した辰五郎は、その後、馬印を立てて東海道を江戸まで戻ります。
一方、慶喜と辰五カの娘・芳らは、軍艦「開陽丸」で江戸まで戻りました。
軍艦に妾を連れて来た慶喜は家臣たちを呆れさせた、と伝わります。
江戸に戻った辰五カを待ち構えていたのは、勝海舟でした。
彼のような火消しの親分、侠客、鳶職、博徒、非人頭らのアウトローたちに対し、こんな計画が持ちかけられます。
「俺ァこれから、薩摩の西郷隆盛と話し合う。
もしもこの話し合いが決裂しちまったら、おめえさんらで江戸を火の海にしちまってくれ」勝の脳裏にあったのは、
ナポレオンを大敗させた1812年のロシア戦役でした。
モスクワを焦土にすることで、敵にも大打撃を与えたのです。勝自らそう頼まれて、彼らは張り切りました。
しかし勝と西郷隆盛の間で話がまとまり、焦土作戦は幻と終わりました。
無血開城という歴史の影で、火消したちがうごめいていたのです。
幻の焦土作戦は不発に終わりましたが、辰五カの役目は終わりません。
上野・寛永寺〜水戸〜駿府と、各地を転々とする慶喜の居場所を警護し、防火につとめていたのです。
慶喜が駿府に向かう時、辰五カと子分たちは二万両という大金を守り抜きました。
馬印の次は、金を守ったというわけです。隠居後の慶喜が悠々自適の暮らしを送れたのは、
辰五カの警護の成果でもあるかもしれません。明治になると、慶喜は新村信と中根幸以外の妾は暇を出しました。
芳もこのとき、家に戻されます。慶喜に付き従い、しばらくは駿府で暮らした辰五カも、やがて江戸へ戻りました。
そして明治8年(1875年)没、享年75(80以上だったという説も)。住み慣れた浅草で亡くなりました。
辞世の句は、「思ひおく まぐろの刺身 鰒汁(ふぐとしる) ふっくりぼぼに どぶろくの味」。
意味は各自で、お調べください。最後まで人をくった江戸の侠客らしい人物でした。
※補足:新門連合会は今でも続く東京都台東区浅草に本拠を置く的屋(神農)系組織
(中核は新門本家。浅草の新門祭友会を仕切る。現在は十代目。)
今日は三社祭り最後日、新門辰五郎さんは今の浅草の風景三社祭りを見て何を思うのでしょうか? おしまい。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/10/77/64/src_10776487.jpg?1368882848 反社会組織が刺青見せびらかす祭りだろ
必要ないよな >>1
やくざのばばっちぃ皮膚見て何が面白いんだか 見物してなにが楽しいの?
参加しないと
三社は参加できないが山王は地元だから さすがにここまで入れ墨見せびらかしてるのはひく
浅草寺は観光客相手にクリーンにやっていけるし、反社会的勢力とつながりがあると思われるより、
はっきり関係ないとさせたいと思ってるのかもしれないな これまでのいざこざあるし >>748
浅草寺が寺の境内から出る時間を早くしてくれっていってて問題になってるって書いてあるのに鳥越の宮出しになんの関係が… しかし、刺青が外国人観光客に人気が高いのは事実で、
インバウンド戦略には欠かせない観光資源になっている。
ヤクザ刺青の有効な活用が期待されるところである。 刺青みせびらかす爺より、祭りで暴力当たり前で三社でのケンカを長年持ち越して
過去には実際に祭りに乗じて人が刺し殺されたりしてるから、機動隊が出動して
大勢で警備にあたらないといけなかったり、そういうのが本当に面倒臭いから
もう三社祭は打ち切りたいというのが実情なんじゃないの
はとバスの駐車場に三社の時だけ機動隊のバスがみっちりで大変なんだよね >>21
に書いてあったけど、ほんとコレ
事故じゃなくて事件がつきものになってるから廃止でいい >>743
神宮寺とか鎮守社みたいな関係なのかな? >>761
ありがとうございます!
サイトで位置調べられるのですか!
今の所、刺青の方達は見かけないですね
しかし暑い…
ここらへんで食べておいた方が良いお店を教えてください >>759
ありがとうございます
さきほど近くに行きましたが、かなり混んでいますね… >>775
今半とか色々有名店はあるけど、大抵嫌ってほど混んでるw
まあ適度にそれっぽいの食っておけばいいんじゃね?w >>777
ほとんど混んでる。コンビニも多分あらかたなくなってると思うべし。西の二之宮の神輿とかは
手前の田原町やつくばの浅草の六区とかも考えるべし。
東部の三之宮や南部の一之宮なら浅草だが西の二之宮は今なら千束あたりから来る狙いで田原町かつくばの浅草が吉。 775です
あまり刺青の方はいないですね
白のはっぴに背中に睦ってあるのはどちらの方達でしょうか? >>729
在日に乗っ取られてる(入り込まれてる)神社やお寺が増えたんだよ
総連・民団の工作
日本の伝統・文化を破壊する事
帰化して日本国籍を取得して外務省、厚生労働省、その他の省に入り込み工作
弁護士、教師、メディアなどに入り込み工作
etc.
浅草寺 ←入り込まれてる >>781
浅草のウィンズあるだろ?
あの目の前に空き地あるだろ?
あれ、パチンコのマルハンが入る予定だったんだよ
俺は建築なんだけど、うちの会社もそこ入る予定だったんだよね
でもあそこの計画自体が完全に頓挫しちゃったんだよね
理由は浅草寺と地回りのヤクザが反対して妨害されたからとか
パチンコが在日利権じゃないのか、浅草寺と地回りが在日じゃないのかw >>783
昔映画館がたくさんあった通りだね
だいぶかわったよね >>784
あそこパチンコが頓挫したんならもともと中映があったんだし、シネコンを中核にした施設ができてほしいなあ。 >>765
浅草一帯の住民が銀行口座凍結されるかもな
やくざの半纏売って
やくざ擁護 >>751
他の場所に神輿を保管したら良いのではないか やくざの半纏をどうどうとレンタルしてるのを規制しろよな ヤクザと在日を徹底的に締め出すのが一番、警察はちゃんと仕事しろ 入れ墨どうのこうの言うなら、完全に使わせないほうが正しい。それをせんということは、
力関係分からせるためのアピール。誰のおかげで祭りできてるんか、もう1度思い出せや
っていうことや。 >>790
あれ、いくらくらいで貸し出してるんだろ?
いいしのぎになるのかな 百済由来で浅草寺は神宮寺だったのを明治にひっぱがして浅草神社にしたって言うとウヨが顔を真っ赤にして 浅草寺という「寺」なのに神輿はおかしいと思ったけど浅草神社(浅草寺内の区切った敷地内にこじんまりとある)の祭りなのか
あれだけ盛大にやってりゃ勘違いするよねぇ 御神輿をメインの余興みたいにしちゃったのは明治以降だろ?
三社祭に江戸祭りの伝統は継がれてないよ。
明治中期に発明された似非祭りだあれは。
確かに御神輿は祭りの中心になるものだけど、御神輿は神職が厳かに運び、
別途、山車行列がお囃子を乗せて賑わすのが祭の基本。
練度を重ねたお囃子も踊りもなく、ギャースカ手軽に騒ぐのが祭りかね?
川越の祭りなんか江戸祭りの原型に近いんじゃないか?
お囃子も文政のころ江戸から伝わったものらしいし。 歴史が数百年あろうが時代に合わないものは淘汰されるのは当然じゃん。 へー まだあったんだこのスレ
ホッピー通りで食べるといいよ 満員だろうけど 関西人の俺の浅草のイメージ(暫定)
ロック座、ロック座の上のネカフェがぼろくて、それ以前に滅茶苦茶精子臭い。
後は、蕎麦かな。高かったけど美味かった。
駅前はまだ碌に探索してへんし、スカイツリーとかどうでもええけど
良い所ってイメージがある。 半ば入れ墨ショーみたいにもなってたもんな。そこに対する危機感の声もでかくなったきたとか? 今JCOMでやってるの見てるけど人多過ぎだろ
JCOMのカメラが他人の頭上にあげたカメラばっかり映してる 神輿に乗ってはいけない
神様を自分の欲に利用してはいけない
富岡八幡宮もそうだ
エゴだけの人に集まるんは悪い霊で神様じゃなかろうよ JCOMで見た感じ宮出しで時間かかってるのって境内でくるくる回るように担いでるからっぽいからもっと早く出そうと思えば出せるな。 なんか連合渡御の集合場所の一部が使用禁止になったとか嘆いてるけどさ
町神輿などというものががゾロゾロ押し掛けるなんて江戸時代には無かった
伝統でもなんでもないんだから有り方を見直したらどうか
同じ事は神田祭にも言える 山王祭で3町会連合にして担ぎ屋を大量動員したら1000人近くになったから
場所とりとかで結局けんか発生するからなあんだけ担ぎ手いたら青年部とかでも
さばけないだろ いらんよ こんなヤクザ祭り
海外の画像掲示板にもあのこ汚い素っ裸の猿見たいのがデカデカと乗っけられてるからな >>13
なんでそんな騒がしいのわかっていて住んでるの?
代々住んでるんだったらごめんね 日曜だと夕方から境内に柵が設置されるので動きづらくなる。これが目に付きだしたら帰るわ 今はチョンが半分くらい
活気があるというよりも柄が悪くなった >>53
元地元民ですが…
普通の人は上に何か羽織りますからね
男だって恥ずかしいでしょ?フンドシ一丁になるの
何かを見せたい人だけが、裸同然の格好をする ブラジルのサンバも規制でできなくなってきたから、
浅草サンバカーニバルも中止で。 穢多に朝鮮人が混じってきて
いつのまにか朝鮮人が仕切っているのが興行 先月浅草行った時、
松屋方面に渡る信号近くで
法輪功の看板持った女性が立ってたけど、
あれなんですか? 刺青したヤクザの晴れ舞台なんだろ?今年で最後でいいよさっさと解散しろ 渡御のコースもかなり変わってるみたいだったなあ。
東部一之宮で馬道と猿若で朝と夕方二度渡御で通過するコースなんて昔からやっているがそんなコース
なるの過去にそんなことなかったのにとおばちゃんが言っていた。
あと西部の二之宮は超呆気なく宮入っちゃったなあ今回。
祭り終わりたくないから宮のゲート前で行ったり来たり繰り返したりで抵抗するのに、コーナリング
した後一度その素振り見せたかなと思ったとたんにそのまんま二之宮入っちゃった。 >>815
これの為に毎年機動隊が大勢駆り出されるんだよ
神社のお祭りに機動隊が必要なんて異常でしょ >>808
だよなあ
いつも思うが神輿を担いで上下に揺すってる暇があったら前へ進めとw
>>809
うるさい
んなもんは醍醐味ではない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています