◆ビル型納骨堂はアリ、でもネット葬儀はナシ?葬儀や供養のデジタル化に重要なのは「儀式性」か

◇自動搬送式納骨堂が流行ってネット葬儀が広がらない理由
 
葬儀も供養もデジタルを駆使してもっと便利になる?

■すべての無駄や苦労をなくしたら儀式の空気感は得られない

21世紀に入って急速に普及した供養関連の商品に、自動搬送式納骨堂が挙げられる。都市部の駅近くに多く建てられているビル型の供養施設で、参拝者はエレベーターなどで墓参フロアに向かい、
空いているブースの入り口にあるセンサーに持参したIDカードをかざす。

するとバックグラウンドでビルの装置が動き出し、そのIDカードに紐付けられた遺灰を収めた骨壺が「●●家の墓」などと書かれたプレートとともに納骨室から該当のブースに搬送される。
参拝者は指定された範囲であればどのブースを使っても目当ての故人の墓に手を合わせられるというわけだ。

■メンテナンス性と利便性が受けてブレイクした自動搬送式

駅近くの立地は参拝しやすく、一般的な墓のような手入れもいらない。
提供側も限られた土地に多くの遺灰が収納できるうえ、無縁化して荒廃する墓を抱えなくて済む。

第一号が1999年に東京水道橋に作られた際は多少の戸惑いが生まれたそうだが、翌年にはメリットが知れ渡ってブレイク。
現在の隆盛にいたった。最近は近隣住民への配慮不足で建設中にトラブルを起こすケースも散見されるが、大多数のまともな寺院や墓地経営者はきちんと周囲に気を配って新しい墓参文化を広げている。
自動搬送式納骨堂は、お墓参りという伝統的な供養文化がコンピューター制御によって便利になって受け入れられた典型的な成功例だと思う。

一方で、失敗例も少なくない。
この連載で何度か取り上げたインターネット墓地は少なくとも日本では受け入れらる気配がまだない。
葬儀のネット中継サービスも同様だ。数年前からソフトバンクの「Pepper」を導師にしたりイタコにしたりする取り組みもメディアに載ったりしているが、いずれも話題性だけが消費された節がある。

成功例と失敗例。
最新技術を使って利用者に便利を追求しているのは変わらないはずだ。
両者の間には一体どんな違いがあるのだろう?

■合理性とは別のところにある「儀式性」が持つ魔力

考えるに、鍵になっているのは「儀式性がどれだけ残されているか」だ。
故人の名残と向き合って追憶したり供養したりする行為は、(宗教的な定義は別にして)心の置き方に関わるものだと思う。

故人を偲ぶなら、いまこのページを読みながらふと思い出すだけでもできるだろうし、通勤電車のなかで黙祷してみるのもいいだろう。
それでも人が墓参りに行くのは、しかるべき場所でしかるべき厳粛さに身を包まれることに価値を見いだしているからに他ならない。

そういう「しかるべき」な感じにさせるのに、儀式が持つ空気感は強い味方になる。
儀式性が濃い空間に身を置くほど、人は厳粛な気持ちになりやすいし、「きちんと偲んだ」と納得しやすくもなる。

そしてこの儀式性は、利用する側が何かしらの苦労を伴うことで成立するケースが多い。
流行の言葉でいえば「不便益(ふべんえき)」というやつだ。

たとえば、お百度参りは社寺に100日間連続で参拝することで祈願成就を期待するわけだが、あれをルンバに代行させて100回往復させたとしたら、同じご利益があると信じられるだろうか。
祈る側が頑張ったからこそ、「お百度参りしたんだ」という自信なり納得感なりにつながるのだと思う。

写真:長野県上田市の上田南愛昇殿葬儀場にあるドライブスルー葬儀場。
式場の左側にドライブスルー用の窓口があり、車上にいながらにして焼香できる。2017年12月オープン。
https://media.digimonostation.jp/wp-content/uploads/2018/05/25-B.jpg

d.365(ディードットサンロクゴ) 2018.05.24
https://www.digimonostation.jp/0000139282/

※続きます