【歴史】徳川慶喜の孫娘が95歳で作家デビュー。井手久美子氏の自叙伝「徳川おてんば姫」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180613-00000027-dal-ent
NHK大河ドラマ「西郷どん」で俳優・松田翔太演じる“ラスト将軍”徳川慶喜が脚光を浴びる中、
唯一存命する慶喜の孫・井手久美子の自叙伝「徳川おてんば姫」(東京キララ社)が13日、発売された。
大政奉還から150年となる昨年に書き上げた波乱万丈の人生が明治150年の今年、書籍化され、
95歳にして作家デビューを果たした。千葉県内の自宅で筆者の思いを聞いた。(文中敬称略)
1922(大正11)年9月22日に当時の東京市小石川区小日向第六天町(現在の東京都文京区春日)にあった
徳川家の屋敷で生まれた。「祖父が亡くなって9年後に生まれたので『お写真様』と呼ばれる部屋に飾られた写真を
『おじじ様』と教えられました。“おかか”がおじじ様の好物だったそうです」。公爵で従一位だったことから“一位様”
とも呼ばれた祖父は、日常会話の中で生きていた。
その住所から「第六天」と称され、慶喜が生涯を閉じた屋敷は3400坪で約50人が生活。幼少期から姉たちと庭で遊び、
女子学習院には車の通学を嫌って市電で通った。外で遊べなかったが、学友と敷地内のテニスコートでボールを追った。
乗馬など運動好きで、いつも日焼け。「楽しくて夢のようでした。木に登ったり、おてんばでしたね」と笑う。
18歳で侯爵家の長男・松平康愛と結婚。久美子は「結婚式で十二単(ひとえ)を着たのですが、はかまの丈が短く、
その中に蚊が入ってきて、かゆくてたまりませんでした」と裏話も。夫は海軍少尉として出征。自身は空襲時、
疎開先の八王子で火の粉が飛ぶ中、バケツを持って屋根に上がった。「戦争中は大変でした」。敗戦の玉音放送を聞きながら、
「ほっとしました」と実感したが、翌年、夫の戦死が確認された。
戦後、華族制度は廃止され、戦火を免れた「第六天」は国に物納された。47年、亡夫と成城高校アイスホッケー部で
仲間だった医師の井手次郎と再婚。徳川家のお姫様は病院の仕事で多忙となる。
「泌尿器科の患者さんも多く、包茎だ、パイプカットだという言葉も平気になったのですから、人は変わるものです」−。
50年生まれの長男・井手純は「特殊な所に生まれても、庶民の生活に飛び込んで慣れも早かったところが、
おふくろの気性というか、今でもこうして生きていられるということなんじゃないかと思いますね」と順応性を指摘する。
次姉・喜久子は高松宮妃殿下。「実の家族のようにかわいがってくださった」という高松宮親王を通して兄・昭和天皇とも接した。
第六天の屋敷跡は現在、国際仏教学大学院大学の敷地。久美子は車いすで現地に赴き、今も残るイチョウの下で万感の思いに浸った。
昨年、39度の高熱を出すなど健康面の不安を抱えながら、13年前に着手して中断していた原稿を一念発起で完成させた。
長男と暮らす自宅には慶喜の写真と葵(あおい)の紋が額縁に入って掲げられ、その下で「鬼平犯科帳」など時代劇のDVDを楽しむ。
今年96歳。新刊本を手に「本当にありがたいことです」と実感を込めた。
初の自叙伝を手に、感無量の心境を語る徳川慶喜の孫・井手久美子さん=千葉県内の自宅
https://lpt.c.yimg.jp/im_siggm1LqdS2JEUx7FTRM1f2xfA---x900-y675-q90-exp3h-pril/amd/20180613-00000027-dal-000-view.jpg ヘタレ将軍
函館まで戦い抜いた幕臣に末代まで詫びろ >井手久美子の自叙伝「徳川おてんば姫」
>95歳にして作家デビュー
95にして自称おてんば姫か
痛いな 孫も慶喜見た事ないのか
徳川慶喜見た事ある人で存命の人、ひとりぐらいいないかな ん〜
面白い生い立ちではあるけど、ぶっちゃけ生まれがあれなだけで特に・・・だな。
慶喜の付き人やってた人とかのが面白そうだわ 孫がまだ生きていたのか
江戸時代って、そんな距離だったんだな >>12
日本橋で生で見た100歳オーバーのお婆さんがテレビ出て話題になってたぞ? >>2
泌尿器科のお姫様だとラノベじゃなくて、エロ小説だなw 95年間さぁ何をしてたの?
今さら遅いよ。
女ってだらしないから
婚活で子作りでも、手遅れになってから
焦り出すんだよな〜 徳川慶喜の直系でこんな体験してる人に
本を出せというやつインタビューして
本にする奴がいなかったの?
出版界ってバカばっかなんか? >>17
ありがとう
身近な人だとさすがにもういないか ひー様は維新後苦労した幕臣を尻目に好き勝手生きたそうで
篤姫との育ちの差だな
ロクな人物じゃ無かったんだろう じっちゃんの名にかけてwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww わしは足軽の子孫だが
今も貧乏サラリーマンだわ
格差社会やねー >>17
あれはホントなのかもしれいないけど年齢がなあ
105歳の人の当時三歳の記憶じゃ
当時日本橋を通ってたのよと聞かされた記憶が
見たという記憶に変わってしまってる可能性が高くてなんとも
もっと早く調べればよかったのに 家族から聞いたエピソードとか家に伝わってる家宝の写真とか集めた本が出たら買う ホンマにこの婆さんが書いたのか?
いや、疑うワケじゃないけど 95でも書くのは10代のころの話なのか? キモロリと同じ思考やね 記憶力大丈夫なんやろか
相当脳内で書き換わってへんやろか >>27
「徳川慶喜の子ども部屋」榊原喜佐子
という本が20年くらい前に出てベストセラーになってる
この著者も慶喜の孫 >>39
13年前に着手したと言ってるね
ただ96じゃ13年前に着手しても
83歳で当時の記憶が脳内で変わってる年齢ではある
なんで出版会は40、50で原稿を依頼しないのか
歴史の生き証人なのに >>41
おまえみたいなバカってなんなの?
まだ華族制度が残ってて当時の経験なんて
一般人は知らないから価値があって書くんだよ
ほんとおまえみたいなバカって意味が分からんなあ >>5
いあ 負けるとわかったら戦っちゃだめだよ
その辺を冷静に判断した人だろ 早くに庶民の暮らしになっても対応出来るやつと出来ないやつがいるな
成金の娘とかの方が対応出来ないというかしない
柳川の立花家の娘さんは見事に対応してて凄いなと思ったけどこの人も泌尿器科って凄いなw この人の年子のお姉さんの榊原 喜佐子さん(3女。高松宮妃喜久子様は次女)が
20年前ぐらいに書いた「徳川慶喜家の子ども部屋」という本は面白いよ >>5
当時の日本なんてライオンと虎と熊のいる檻の中に入れられたウサギみたいなものだったからな。
内戦してる場合ではないことを最も良く知っていた人間の一人だったと俺は思う。 慶喜って子供21人いたんだろ。孫曾孫はいったい何人いるんだ?ってはなし。 中村メイコの祖母が慶應の生まれで100才以上まで
生きたって言ってたな
で、NHK朝ドラのおはなはんを見て
権現様の御世に産まれてテレビなんぞというありがたいものを
みられるとは思わなかったっていってたなあ >>1
なんかあんま穏やかな顔じゃないな。
あんま幸せそうな感じじゃない。 西郷どんの一橋慶喜がかっこ良くて嬉しかっただろう (´・ω・`) >>58
高い系じゃなくてここまで来ると高いんだよ >>48
お前それでも日本人かよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 自叙伝だろ、凄い面白そうじゃん。
趣味で書いた小説とかなら興味無いけど、これは読みたいぞ。 >>1
男の方?女の方?
顔面がんばってキープしていただきたい 十二単に蚊が潜入とかリアル。つか、軽い地獄じゃんw 徳川宗家は、確か明治時代には公爵家に叙せられていたな
もっとも慶喜は、跡目を養子に譲り
自らは隠居していたっていうが
もちろん何人も子供がいたけど、その多くは農家などに養子に出したと聞いているし すごい・・・朝ドラになる事を運命つけられている内容だ
間違っても大河にはするなよ 江戸時代の日本の総人口に占める武士比率は
たった6%くらいで、
大多数の人は農民だったわけだ。
それなのに野球やサッカーなどの日本代表をサムライジャパンと呼ぶのはおかしいと思う。
代表選手の先祖のほとんどは農民のはずだからな。 >>8
その人だっけ?妾の子で実はそんなに接点なかったという >>78
百姓ジャパンとか竹槍出てきそうでやだなぁ うちのババアも95歳
あと何年生きるんだろう
お金も体力ももたないから早くしんでほしい >>78
江戸時代だけが侍ではないよ。戦の勝ち負けで帰農したり、成り上がったりを繰り返したのが日本社会
先祖に侍が1人もおらん日本人なんていないw 維新後の慶喜って写真マニアだったらしいね
家族はもとより
お手伝いさんや女中さんたちに
いろんな衣装を着せては撮影してたらしいw
日本最初のコスプレマニアかもしれないww そういや徳川家の人に、
アスキーの中の人?プログラマーの人??かなんかいなかったっけ?
そうするとやっぱネラーなんかね?w >>61
きっとそのくらいの年代が一番変わってく世の中に触れた人たちだよね >>83
ないないw
日本で封建制度が確立したとされる鎌倉時代ですら日本の総人口に占める武士比率は2%か3%と言われている。
農民から武士に成り上がった人なんて本当に極々極々一部でしかないだろうね。
現代日本人の先祖の殆どはやはり農民なんだよ。 >>1
図々しいタイトル
世が世なら私は姫と本気で思ってそう 朝ドラ確定かw
あさが来たに続いて
また土方歳三の出番がありそうだなw >>75
農家に養子にだすわけないじゃん。
多くは息子は華族の養子や婿養子とか娘は華族と結婚だろ。 >>61
長寿記録のサイトを見てると
1860年ころに生まれて、1975年まで生きてた女性がいた・
凄いよな??
江戸時代のちょんまげ姿を見て、武士とかもおそらく目にしてただろうし
それから明治維新、から激動の昭和、そして戦後にプロ野球や芸能界や
バスや飛行機、カラーテレビまで見てただろうし・・ >>78
比率は地域差があって東北と九州は武士が10%くらいだった
この地方では、城下町に住まずに農業もしている武士がいたから >>11
じゃあ何と言うんだよ
一般向け記事を出すインタビュアー相手に日常語でなく懲りまくった言い回しで喋るべきだ、そもそも小説はそうあるべきだとバカ丸出し嫉妬丸出しが申しています 何で徳川200年の時代に世界情勢を見ながら軍備を近代化にしなかったんだ >>90
そんな身分固定社会じゃないんだよ。国人だって侍だし、足軽大将だって侍だから。手柄を立てれば出世出来るし
農民と戦闘員(侍)の定義なんて徳川期以前は曖昧なんだよw >>83 じゃあ落武者ジャパンで良いんじゃないか? >おかかがおじじ様の好物
?
かーちゃんなのかじいちゃんなのかはっきりしろ >>83
アイヌが今どれだけいるかはわからないが、純血アイヌは侍の血は混じってないだろ。 なんだかなぁ・・徳川・江戸時代って
元和、寛永、元禄の昔のころから
天保、元治、慶応まで
人々の服装や髪形、しゃべり方や文章の書き方
全く変化が無かったんだよなぁ
赤穂浪士だって、幕末の人たちから見たら
160年も昔の人たちなのに・・ まったく同じ生活だし。。
ヨーロッパじゃ17世紀初頭と19世紀半ばじゃ偉く諸々違うのに・・
非常に奇妙だわw >>101
階層移動なんて現実にはそんなにないってw
頻繁に階層移動があったならもっと武士比率が高いはずだからな。 わたしの先祖は伊達政宗の家老の家臣団だったらしいが、徳川家とも何回も交流があったのだろうな
伊達は徳川の作った、当時世界一の経済力を誇る城下町にあこがれていたらしい >>103
だからどこの時代に名称取るかだけの話。
徳川だって遡れば先祖は乞食僧ジャパンなんだわw 95歳でおてんば姫はちょっとなあ〜
実質日本政府絡みの階級でお姫様なんだろうけど、平民には調子に乗っていて嫌だなあ 今の徳川本家の方々は財団関係の仕事をされておられるのかな?
こういう人らは上流ネットワークでどうにでもなりそう >>99
オランダ経由で書物は入ってきてたのでボチボチ各藩単位ではやってたんよ。
黒船来るまではなかなか予算がねー >>113
逆に95歳でお姫様としての半生を振り返ってるだけだから、いいような気がする
このタイトルを35歳の人が出版した方が痛ましい 徳川慶喜を生で見たことがあるという人は
水曜日のダウンタウンに連絡してください 徳川家の娘なんだから、姫は問題ないだろう
前半生だけを語る訳ではない話なのに、おてんば、がつくほうが違和感がある >>115
基本的に、当時の武士階級と農民階級(豪農除く)は、明治維新以降にやっと武士階級と豪農が交わったくらいの身分社会で
武士と豪農しか上に行けないのが日本だった
いまでもその構図はあまり変わってないから、公務員や大手企業管理職や医師など、日本人でなければ就けない優遇された職業には武家出身・豪農出身の人が就いて、パチンコとかで財を成した元農民や朝鮮人の成金はそういう集まりには入らせてもらえずに内心見下されてる >>126
医者は専門職だから、産まれが恵まれていなくても参入しやすい職業の一つだと思う >外で遊べなかったが、学友と敷地内のテニスコートでボールを追った。
>乗馬など運動好きで、いつも日焼け。「楽しくて夢のようでした。木に登ったり、おてんばでしたね」と笑う。
いやほんと優雅なもんだなあ
テニスや乗馬で「おてんば」だとさ >>127
公務員医師とかでなければ、農民や朝鮮の出自の人でも頭と金があれば入れる。
恵まれた職業の中でも、出自が恵まれていなくても一番なりやすいのは民間医師。 >>129
おてんば姫なら自室の壁を破壊して外に出るくらいじゃないとな 昭和の皇后も慶喜の孫だったよな
従姉妹同士に成るんか 何だ明治もんかよ 本格的なチャンバラ時代劇を書ける奴が居なくなったなあ 読んでみようかな
最近大河も朝ドラも時代考証おかしくてつまらんからエッセイなら楽しそう >>132
いや、その方は宮家出身。孫は高松宮妃だよ。 >>94
養子というか里子?
豆腐屋とか庶民の家で育った方が逞しくなるからと
子供が生まれたらどんどん庶民の家に里子に出してたらしい
>>95
新選組の永倉新八も長生きして映画を見たりしてるね
新選組隊士で一番長命だった人は昭和まで生きた >>132
皇后は、島津久光のひ孫じゃなかったか。 >>94
一橋家の話だろ
東大出で貴族院議員だったのに戦後水戸で酪農家になった
ただこの人は水戸家の血筋で嫁が慶喜の孫(ややこしい)曾祖父は一緒(斉昭)
慶喜家は昨年当主が亡くなり廃絶、敢えて養子も取らなかった
住んでいたのがひたちなか市武田、武田氏の発祥の地
何か縁があるのかね? >>130
官僚も国籍があれば、なるだけならば、頭だけでなれるのではないのか
ただし、先祖も偉い人の子孫が大半を占めるのだろう
一番厳しいのは、財閥系などの大企業じゃないのかな >>95
>凄いよな??
江戸時代のちょんまげ姿を見て、武士とかもおそらく目にしてただろうし
それから明治維新、から激動の昭和、そして戦後にプロ野球や芸能界や
バスや飛行機、カラーテレビまで見てただろうし・・
ほんと、ほんと。
飛行機はジャンボジェットになってるし、月に人類が行くまで、江戸時代から目撃してる。
この頃生まれて、100歳以上まで生きて、田舎暮らしでない限り、世界の激動をそのまま、目にしてるんだよな。
後にも先にも、こんな激動の時代は無いから、誰かを主人公にして、江戸時代の若い頃から死ぬ昭和の最近まで。
漫画でもドラマでもいいから、描いてほしい。 >>140
財閥系は一番入りにくい、それは当たってる
財閥系企業の採用担当者は、採用時にその人の出自まで追う
だからいまだに財閥系企業のトップ会合は、身内にしか知らされない。身内の親戚関係でも5親等以上離れてれば話すことはない >>34
そうとう特別な日のことだし
3歳なら普通に記憶あるだろ
女児なら特に ID:donnf+ku0はどんな氏素性なのだろう? そもそも明治維新てすごくない?
ちょんまげとか自分達の文化捨てて異国の文化取り入れるって
着物よりドレスの方が機能的とか布団よりベッドの方が楽とか
優劣で受け入れていったのかな
自分ならついていけたかビミョー 女聞書き徳川慶喜って本も面白いよ
慶喜に仕えてた人たちの話だから、かなりリアルでヤバそうなものも
御身御腹ただならずおなりあそばしたとかカルモチンがどうとか… >>68
そうじゃない
今の現代人が生物として退化してる
生殖能力が劣化してる
人間以外の生物も同じ傾向 >>103
なぜかアルシンドが監督の、
ジャパンを思い浮かべた。 >>149
そういう時代だったのだよ
当時の政府は腐敗しきっていて、インフラの維持費すら使い込んでしまっていた
そこで長州の武士たちが外来人(朝鮮人)と協力して、幕府を倒した
そんな内乱状態だったから、庶民から武士・公家まで全員が他国文化を受け入れざるを得なかった
というか、受け入れなければアメリカに支配されていた
そんな時代 >>78
日本代表に選ばれる人数って日本国民の何パーセントなの?
6%よりもはるかに低いよね。 >>149
逆じゃねえの。
まず、明治政府がやったのは、日本中に蒸気機関車を走らせるため、鉄道を敷いたじゃん。
蒸気機関車は今でも、人気あるけど、シュッシュと音を立てながら、蒸気を吐いてド迫力で走る姿は感動的。
実物は見た事ないけど、初めて見た当時の人は感動したろな。
これが文明開化かと。
それまで徒歩で往来するだけで、何日もかけて東海道や全国を歩くしか無かったわけでしょ。
それ以外にも、夜間には真っ暗だった町にガス灯がついて、電気が普及し始めたら、夜も明るい。
今は当たり前のことをイチイチ感動したんだろな。
松下幸之助が、電灯の会社に就職して、これからは電気の時代だと感動して、四畳半から創業したのは、そういう感動があったからでしょ。 >>83
100代くらい遡ったらみんな天皇の子孫なんだから
天皇JAPANにしようよ 慶喜は暴れん坊将軍のモデルでもあるからね
新門辰五郎の家に入り浸り娘を妾にもしている
女性のアソコをデッサンしたり変人と云うか芸術肌と云うか 洋服の完全導入は結構後
数十年前の写真を見ると、割と和服着てる人がいる
ベッドは未だに完全導入されてない
西洋文化の中でも、普及が遅いほうなんじゃないのかな 西洋文化を受け入れたのは、武器が強い、医療が進んでる、ってのがでかかったのではないだろうか
ケンカに勝てて、怪我しても治る、って夢みたいじゃないか >>94
貞明皇后は農家に出されてチャキチャな性格で香淳皇后は反りが合わなかったとか 貞明皇后は庶子でしかも女だから普通の扱いなのかどうか ご先祖は旗本として一橋派と井伊派の間で翻弄された
桜田門外の変後に左遷されると今度は幕府軍と討幕派に分かれた
維新後は安政の大獄犠牲者の遺族をめとったが早死に没落
東京大空襲で家系図以外の全てを失った で庶民暮らし >>158
そういうこと
逆に明治維新による日本の大復活が無ければ、日本はアメリカに完全支配されて、今の属国という形ではなく、単純に体のいい黒人奴隷のような扱いをされていた可能性すらある。
歴史の分岐点とは不思議な物で、徳川が居なければ江戸は世界一の都市といわれることはなかったし、明治維新もなかったし、敗戦からの大成長もなかった
今の日本がここまで豊かになったのは、先人の力があってこそ。 嫁が東京の病院で看護師してた頃、
慶喜の孫娘が入院して来たらしい。
豪華な寝間着に高額な差額ベッドはまだ良し、
看護師を小間使いの様に扱い評判が悪かったと。
この人か知らんが。 将軍家の人間が出征とかするんだな
逆に死地に追いやられた可能性もあるか 慶喜の膝に乗って写真に写ってた孫娘は最近まで生きてたよね 朝ドラ決定って言うがお姫様のセレブな日常を流して今のオバハン達に受け入れられるかなあ >>132
西郷従道の孫の西郷従吾の妻は徳川慶喜の孫娘が嫁いでるよ >>171
戦前のお姫様は敗戦でセレブ生活終了するの分かりきってるから鬼女も嫉妬しないのでは この人の姉の榊原に嫁に行った人が書いた本を読んだけど、けっこう面白かったわ。
徳川宗家は養子に譲って隠居してたんだけど、明治の30年くらいに慶喜家として
独立して華族になった。公爵だな。
この人が子供の頃に、高松宮妃が嫁に行き。
慶喜は明治になってから10男11女を儲けたらしいが、女は旧大名家へ嫁に行き、
男は鳥取池田家、勝海舟の養子になってる。
慶久が跡をついで、有栖川宮の娘を嫁にもらう。
はっきりとはわからんが、この人ともうひとりは嫁の子じゃなかったぽいな。
だけど、差別なく一緒に育てられたように書いてた。
まあ、武家だし。
姉の喜久子妃は正真正銘の公武合体だな。
高松宮に子供がいればよかったけどな。 >>160
入り浸りは吉原じゃないのか?
吉原で牛人間の絵を描いたりしてた 私の祖先は江戸老中で将軍に次ぐナンバー2、日本で二番目にえらい家柄
母親からいつも「あなたは時代が時代なら殿様」と言われて育った生まれながらのエリート なんで無血開城しちゃったのかねぇ
函館まで逃げたって追われるだけなのに
江戸決戦ってのは最大のドラマだったはずなのに >>171
大正昭和の華族モノは
おばちゃんたちの大好物じゃないか >>166
幕末当時はまだ、アメリカは南北戦争の頃だから、日本を支配する力は無いが、当面の敵はロシア。
他はイギリスで、中国に拠点を作ってるから、脅威だったもんな。
ただ、南北戦争が終了して、アメリカに最新式の武器を供給してたイギリスは、武器の買い手が無くなって、
どこに売ろうかと考えたら、日本が討幕を考えてる。
なら、薩長に売ろうと、グラバーを使って、龍馬に仲介させ、最新式の武器を供給させ、討幕だから。
南北戦争が無かったり、終戦して無ければ薩摩も動けなかったかも。
世界史は連携してんだよね。 >>11
大丈夫!
少し泣いた、ドキドキした
これはベストセラー作家、百田尚樹氏の文中に出てくる描写
ドキドキしたやで? 侍、殿さまの親戚の結婚式行ったら
男は私を含めて6フィート以上の体格ばっかりで女は美人ばっかりだった
昔から侍は良いもの食ってたし、嫁さんも美人をもらってたからだろう >>185
連携してるというか、イギリスと朝鮮人と今の日本政府のつながりは明治維新から来てる。
第二次世界大戦は、欧州各国のドイツへの対応の大失敗が世界に連鎖した結果、日本も巻き込まれた
似たような失政を、世界中の各国が割と頻繁に引き起こしてるのが近世
現代ではさすがに核兵器があるから、大チョンボはありえなくなりつつあるが、それでも最近の北朝鮮の問題といい、小さな失敗はある こんなのもういいって
作家なら作品で勝負しろよ、出目なんて関係ないから >>12
今は厳しいだろうな
俺がガキの頃は江戸末期産まれのジジババがうようよいたし、
当時なら結構いただろうけど 徳川の子孫って、お姫様でもなんでもないもんな。
公爵だから、華族の中でも、トップに君臨するとはいえ、慶喜自身は維新後、静岡で謹慎状態で、
貧しい暮らしを20年くらい、強いられてた。
やる事は子作りと趣味の写真撮影や自転車乗り。
その子や孫も、公爵なのに戦争に行けば二等兵からで、病弱だから、除隊。
将軍の子孫とは思えないほど。
最近、慶喜の玄孫だっけ、カメラマンの人が亡くなったよな。
完全な一般人として生きた。 徳川で姫じゃないのなら、皇室だけが姫ということか
その定義もアリといえばアリだけどな 若いころは江戸時代生まれとかもウジャウジャいたけど気がついたらまわりに自分より年上がほとんどおらんなったわ >>200自己レス
1人じゃなく、4人ぐらいで相続したらしいけど >>177
徳川宗家現当主・徳川恒孝氏の奥方は薩摩藩士・寺島宗則の子孫を娶ってるね >>204
でもその息子は、ベトナム人を嫁に
跡継ぎどうするのだろう おてんば姫「ああ汚らわしい、あの者の首をはねておしまい」
お庭番「はいただちに…(ドピッ」 >>98
この河本にわさんってすごいな
1963年だから新選組の池田屋襲撃の前から生きてる
てか夏目漱石より4つも年上じゃねーかww
そして1976年(昭和51年)11月16日でお亡くなりになられてるが
当日に生まれた有名人調べたら
11月16日 - 西村博之、2ちゃんねる管理人 だとよwwww 95歳のバーさんのご尊顔はやっぱりこんなもんだろうね(笑) 徳川慶喜家をついだ戦中・戦後時の当主の三代目が
学者肌で世渡りがうまくなくて戦後経済的に一般人クラスに没落しちゃっただけで
戦前までは裕福だったし文字通りお姫様扱いだったのは間違いない
徴兵されたときの等級が低いのも、当時の武家(特に旧幕臣)が
戦意高揚のためどんどん一般人に混ざって徴兵されてたから 95歳で新しいことに挑戦しようってとこが素晴らしい
出版できるレベルにするのって簡単じゃないだろ
口述筆記か自分で書いたか知らないけど >>7
> 95にして自称おてんば姫か
> 痛いな
そうでもないよ、漢字で書けば「転ぶ婆ア」だからな、お転婆 >>181
あそこで内乱なってたら確実に日本は欧米列強に食われてたよ
イギリスはその為に薩摩を援助してたんだし >>199
江戸時代生まれって・・・80歳くらいですか? 慶喜をなんで「よしのぶ」って読むんだろ?
けいき様とも呼ばれてたらしいが 赤いの着てなかったら、確実に爺さん 赤いの着せられたんだろうな 夫・松平康愛(やすよし/海軍少佐)は昭和20年6月戦死。
侯爵家の総領息子が戦死するんだから大変な時代だな。 >泌尿器科の患者さんも多く、包茎だ、パイプカットだという言葉も平気になったのですから、人は変わるものです
なにもこんなインタビューで包茎なんて口にしなくていいのに ひ、姫っ!私めの汚いモノをば!
苦しゅうない、、ほぅこれがホウケイかや?独特な形よのう。何やら臭うとるし。どれ。
か、かたじけのうございますだ
おフェラ頂きたてまつりまつりて。。
よい、よい 剥くのが好きなのじゃ
ホレ、桃色が出てきたもう
天に登る心地でございまする >>201
宮家でそれっぽっち?
他に不動産とかあるのかな。 「徳川慶喜の孫娘が95歳で作家デビュー」
こんだけでもう完璧にお腹いっぱい十分ですwww 今後ともよろしくお願いします長生きしてください! wwwwwww >>178
女性だし婿養子を取ったわけでもないから >>221
乃木希典に至っては、息子を二人とも
日露戦争で戦死させた
娘は早世、養子を迎えることもなく断絶 >>1
>>唯一存命する慶喜の孫
ん?カメラ屋やっていたオッサンは死んだのか? >>229
乃木さんは日露の勲功があるまでは華族ではないじゃん >>79
久美子さんが生まれて間も無く父上がなくなった
でも有栖川家から嫁いできた正妻さお、も妾さんの子をよく面倒見ていたことが
久美子さん姉の榊原喜佐子さんの著書にかかれている
学習院の卒業式にも正妻さんが出席した 慶喜の末子なんかは男爵だから、この方のご実家も公爵家ではない可能性があるよね。 >>230
あのカメラマン死んどったんか知らんかったわ >>230
カメラマン&珈琲焙煎の慶朝さんは慶喜のひ孫
久美子さんの兄の息子だ
慶朝さんは一昨年だかにまだ60代で亡くなったな
ちなみに慶朝さんの父上の姉は平沼赳夫氏の奥さん >>232
その榊原っていうのも徳川四天王の榊原家なんかね? >>236
訂正
慶朝さんの実姉が平沼赳夫氏の奥さん、です >>239
さんくす。高田に転封された榊原宗家なんだな ケイキの孫なら高松宮妃の従姉妹かな?と思ったが妹か 今の宗主徳川家当主の嫁ってベトナム人だろう
つまり時期将軍はベトナムとのハーフ 平沼赳夫の奥さんも徳川慶喜の、孫じゃなかったっけ? フリーライターあたりが茶飲みながら適当に聞き取ったこと世間受けするように
脚色して作っただけじゃないの?
「どのあたりがおすすめですか?」
「まだ読んでいないのでわかりません」 久美子さん、若いときすごい美人だったんだよなあ
松平家に嫁いだが旦那さんが戦死し井手さんと再婚
慶喜の孫の慶朝氏は離婚した奥さん(長岡男爵家の礼譲)との間に三人の息子がいるが
次男は長岡の家を継ぐことが決まっているそうなので
長男三男がどうなるか、だろうな >>225
昭和天皇の遺産が約20億だから宮家で18億ならかなりの額だぞ >>177
喜久子殿下の宮家入りは、廃絶した有栖川宮家の跡継ぎ要素がメインじゃね?
結果的に徳川の血筋だっただけで。 >>92
だよなー 華族意識が抜けてないですか困るわ 残念ながら元公家華族や皇室は見た目が貧相だから現代じゃなかなか尊敬を集められないんだよなあ
渡来人の濃い血を見せられてもね 大東亜戦で死んだ慶喜の孫もいたよな。
将軍の孫が米軍にやられてしまった。 徳川宗家には、おそらくまた会津松平から養子が入るはず。 >>254
別に尊敬とか関係ないし。血筋の問題だから。
天皇陛下だって、尊敬されてるから天皇やってる訳じゃないしね。 滅びて良かった徳川幕府・・・
身分制度・世襲制度・封建制度によって
無能で何も決定できない人間が支配階級に居座りつづけ
文化の発展を阻害し続けた。
大政奉還を実行した15代には感謝したい。 >>259
幕府の利益ではなく日本の利益の為に身を引いた
なかなか出来る事じゃない
名君であったのは間違いないね イギリススパイ閥長州チョンが実権握って
イギリス傀儡が新政府 祖父が77歳で死んでその9年後に生まれた孫って
親と祖父は何歳の時に子供作ってるんだよ 1922年9月生まれの
この人って徳川慶久の子供で
徳川慶久は1922年1月に死んでるから
祖父どころか父親も生まれた時、
生存してなかったんだな。 >>259
世界的にそう大差ない
今を知っていて、ただ振り返るのは子供でも誰でも出きる事
時代時代を読み取ろう >>12
水曜日のダウンタウンでそんなネタあったな
「徳川慶喜見たことある人、1人くらいはいる説」みたいなの >>78
つうかなんでもサムライだのフェアリーだの名前つけるの止めろと
いい大人が恥ずかしい お姫様から市井のおかみさんでちょっと脚色したらドラマになりそう >>141
それ楽しそう。ドラマでじっくりやって欲しい >>259っていかにも某世襲政治家を支持してそうなのだが?w 将軍の孫が生きてるって、考えてみると
江戸時代は最近なんだなぁ。 >>270
当時としてはベストに近い
いきなり理想的な事が出来るかよ
今でも安倍、おかしいよ今時じいさんが総理でとかで
でも保守本流の御曹司を立てたんで経済界も足並み揃った
今、民主みたいにドタバタして欲しくないわな >>259
>文化の発展を阻害し続けた。
あほか。世界に誇るべき日本的なものが最も醸成されたのが江戸時代だ >>273
ああ、
座席は拳一つ譲る、とか時間前集合とか、アレね。 文藝春秋(半藤一利)が持ち上げる歴史は捏造ばかり。
東日流も墨俣一夜城も旧石器も武士道も。
除名しないと。 >>274
グローバルスタンダード・多文化強制を掲げる進歩的文化人様乙です^^ なんだこの出版社名?と思ってオフィシャル見たら、早い時期に統一協会の結婚式写真集で運転資金稼ぎとかしてたんだなw >>232
喜佐子さんは、お妾さんの子だったとは聞いたことがある
姉の喜久子さんが、徳川家より身分が高い宮家に嫁いだのに
喜佐子さんは、家臣である榊原家に嫁いだ。
差があるけど、それなら腑に落ちる 姉の喜久子さまは、柳原白蓮さんたちと一緒になって
美智子さま皇室入りの反対運動をなさっていたとか
20年前に書かれた榊原喜佐子さんの本には、美智子さま雅子さま紀子さまなど
今の皇族のことが一切書かれていなかった。 ホンマもんの上流階級
IT長者や医者や芸能人とかが逆立ちしても
爪の先すら及ばない人やな 天皇殺しの宮家
男はクズしかいない京都宮家潰して
新クズ昭和宮家にした >>232
私は父や正妻にかわいがられてたの〜
は妾の子のお決まり台詞だからなあ
安藤カズとか雪路とか >>185
日本の戦争を見て日本は我々と同じだとロシアと欧米が認識したんだよ >>282
旧華族は婚姻に家格とか主従とか、あんま関係ないよ。考慮はもちろんされたけど、実際は年齢とか本人同士の同意とかが重要視されてた。
喜久子さまは最後の有栖川宮の血筋ってことで、生まれる前から宮家に上がることが決まっていたから、むしろ例外っていうか。
それに、形としては家と家との婚姻だから、正妻とか妾とか関係ないし。
だいいち妾腹なんて言いだしたら、慶喜の子供は全員妾腹だけどw 江戸時代も酷い粛清が吹き荒れて虐殺もあったからな
桑名藩の野村騒動では、犯の財政に貢献した野村が
子供も含めて一族みなごろしで百人近くが切られた
それから160年もたったのに、相変わらずで今度は
水戸天狗党の300人近い処刑もあった
野蛮な時代だよ 江戸時代は年間1000人近い処刑数だったが
明治新政府になってから激減して
今のような数になった
どうしてこうなった??
伊藤や山縣は庶民に気を遣いすぎたのか
世襲も廃止してしまった。。 >>15
今は亡き、人類初の大還暦達成者である
泉重千代翁は徳之島で謹慎中だった西郷どんと遊んだかも知れない。 >>291
おじいちゃんが天皇という人はもっと凄い。 >99
ラクスマンが大満足でお帰りになったあとオランダに頼んで近代海軍やら兵器の更新しようとしたらつぶされたらしい
黒船の60年前だ >>294
刑務所が出来たのが大きい。
江戸時代の牢は大量に長期に収用する牢ではなく、死刑や遠島追放刑が確定執行されるまでの拘置所だから 今NHKでやっている西郷どん や
幕末の江戸時代劇を見ても、
髪型や服装、生活様式が
160年も昔の赤穂浪士の元禄時代や、家光のころの寛永時代の時代劇と
全く違いがない
おかしくないか??
普通150年や200年もたってたら、生活スタイル変わってるはずだが・・
ヨーロッパでは、そうだったのに >>304
実際には髷一つ取っても流行りがあるし歴史描写が出来ていないとだけかと。 画家歴十年で死んだゴッホ
信長の五十年
確か近藤勇とか宮沢賢治らは三十七歳 多いんですよ三十七歳…
自分は百歳は無理だろうけど、七十歳以上でさえ想像外でしたしね
どうなるか 一生懸命に生きましょう 明日は年金の日です >>279
タウン誌「月刊日本橋」のロゴにも流用されてる
日本橋三越で毎年開催されている「春の院展」の題字も徳川慶喜 ■■■緊急告発!!!■■■
.,
googleやYahooの検索エンジンを
不正操作し罪状の隠蔽工作を図る
卑劣な窃盗常習犯細野晴臣
wikipediaから試し腹の項目を削除
した姑息な窃盗常習犯細野晴臣。
竹田恒泰さんや立花孝志さんやテキサス親父の動画を強制的に削除した不正アクセス常習犯細野晴臣
窃盗常習犯細野晴臣は革マル派の
指名手配犯や生活保護不正受給者
を教唆し明治製菓やマクドナルド
に毒物混入しただけでなく幾多
の威力業務妨害事件を繰り返して
きたテロリスト凶悪犯です。
窃盗常習犯細野晴臣は麻原彰晃を
修行者と賞賛した中沢新一と現在
も懇意にしている筋金入りの
在日朝鮮人テロリスト凶悪犯です
北朝鮮カルト創価学会はアメリカ
下院議院でもテロカルト認定され
ている犯罪組織です。
トータル360000再生を超えていた
罪状告発動画を不正アクセスし削除した姑息な窃盗常習犯細野晴臣は生活保護不正受給者を教唆し
一般市民の寝室やトイレを盗撮させ課金制動画サイトやInstagramにアップロードしたり、合鍵で住居
侵入や窃盗を繰り返す窃盗常習犯
一般市民のキッチンの冷蔵庫を物色し毒物混入する卑劣な凶悪犯
テロリストが朝鮮人細野晴臣。
窃盗常習犯テロリストを野放しに
しているのは日本の公安の怠慢に
他ならない。在日朝鮮人凶悪犯
細野晴臣の逮捕・起訴を望む一般市民の皆様は是非とも下記のメールフォームから公安へ要望をお伝えください。
↓
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anket/opinion.html
http://qa.itmedia.co.jp/qa9025605.html
窃盗常習犯テロリストの住所
↓
東京都 港区 白金台 4-10-6-301
TEL 03-3440-6465
https://www.youtube.com/watch?v=SEZRINeCQcQ
http://photozou.jp/photo/show/3226768/255000867 >>307
西郷どんの江戸側は流行りの三角の細髷とかになってる気がする >>106
江戸時代が一番成熟した文化の時代だろ
読み書きところか農民さえ微分積分を勉強していた
絵や書や踊りをする人多数
歌や楽器の演奏も盛ん
今日日圧倒的多数が文系でバカになっているが >>294
江戸時代は死刑の基準がキツい
十両盗む、放火(燃え広がりやすいから)なんかでも死刑で今の基準と全然違う
武家でもあまりに人様に迷惑かけるバカ息子だと明くる日病死する時代ですわ >>312
ノ(⌒Y⌒)
γ⌒´.(⌒*☆*⌒)
// "'⌒(__人__)~)
i / ⌒ ⌒ ヽ )
!゙ (・ )` ´( ・) i/ ホント文系はバカばっかだよね
| (__人_) |
\ `ー' /
/ .\ >>299
それを言うなら、おじいちゃんじゃなく、ひいおじいちゃん https://pds.exblog.jp/pds/1/201308/26/92/a0287992_1944173.jpg
戦死した夫の松平康愛 海軍少佐
母親が美人で有名なだけあってなかなかいい男風である
母親は総理大臣就任を辞退した徳川家達の娘 >>221
さすがに高貴な家柄ということで、パイロットや船乗りでなく航空隊の司令部(陸上)で
暗号関係の業務についていたらしく、普通に行けば死ぬ確率も低かっただろう
しかし赴任先のフィリピン戦線が想定を上回る大敗で大崩れしてしまい、現地ゲリラの
襲撃で殺害されたらしい >>221
久美子さんの兄、つまり慶喜家督を継いだ人も
東京帝大で中国文学専攻し卒業したが陸軍に二等兵として普通に徴兵された
中国語ができたばかりに支那の前線へ行かされ病気になり命からがら帰国 久美子姫って昔の写真見ると愛らしいお人形さんみたいな美人だよね〜 >>318
徳川宗家16代当主・徳川家達の妻は島津御四家から嫁いでてはず >>323
家達の妻は天璋院の計らいで、近衛家の姫、泰子。
島津家から輿入れしたのは、息子の家正の妻、正子。これまた天璋院の
遺言で、男が生まれたら島津から嫁を迎えることになっていた。 この人と喜佐子さんは女中の子
正妻の子じゃない
喜久子妃の著書でも家系図に書かれてなかったし
まあ、慶喜の孫なのは間違いない もともとお父さんの慶久さんも女中の子だからね
でも跡取りになったし >>325
庶子であっても、籍に入れられて本宅で育てられてるから、この時代では正式に娘として扱われる。
それに、母親が女中と言っても、有栖川宮家からお付きで来た人だから、現代で考えるような庶民の出ではないよ。明らかにされてないけど、おそらく公家の娘かと。しかも、この女中をあてがったのは実枝子女王本人だし、所謂おしとねすべりで、正妻公認だから。 兵を見捨てて逃げ出し、ひたすら保身のため震えてた慶喜。
あまりに小心かつ卑劣で将軍の器ではなかった。
慶喜の孫に徳川を名乗る資格はないよ。 >>330
一方的な俗説信じてるの?歴史を語る資格が無いね君 >>276
それはあなた。
ウソ歴史に酔って資料を見ない、江戸しぐさ世代(文藝春秋)。 >>328
>>母親が女中と言っても、有栖川宮家からお付きで来た人だから、現代で考えるような
>>庶民民の出ではないよ。
有栖川宮より家格の高い九条家の女中はただの貧農の娘だったよ。
それが九条当主のお手つきになって、昭和天皇の母を産んだ。
女中もランキングがあって上女中とか下女中とか。
天皇家なら女官として雇うから公家の娘もいるけど、
宮家レベルだと公家を女中にしていることはないよ。 >>89
武士をみて育って今はインターネットしている人とかはさすがにいないのかな >>324
徳川宗家徳川家達の壊滅的な女性嫌いは、篤姫の厳格過ぎる教練のせいと思う。
おかげで子供がおらず、会津松平が養子に入った。逆効果ですな。 >>320
その人って現役の公爵で二等兵なんだよね(乙種合格だったからしかたがないが)
でも華族でも軍隊内では殴る蹴るの暴行を受けてたのに、
姉が皇族だとしれた途端、古年兵の態度が豹変して扱いが良くなったらしいな
偉いのは皇族だけなんだなw 田舎者が多い古年兵は華族なんて知らんのだろうな
小学校でも習う天皇と皇族は知ってるけどさw
あと、乙種じゃなくて丙種だったな 徳川慶善に抱っこされた赤ん坊が、まだこの世にいるってのは驚愕だよ・・・
歴史の生き証人にも程があるぞ・・・ 徳川家ってまだ続いてる?
ベトナム人女性と結婚した方は別の徳川家? 途中で書き込んでしまった
紀州が独身の女性が当主で次代消滅が決定してる以外は
御三家は残ってるし後三卿も残ってるし、その子孫の徳川さんもいっぱいいるし
徳川慶喜(公爵)本家は前当主が死んで消滅したものの、その分家の男爵家の子孫生きてるし
要するに徳川宗家(将軍家の末裔、慶喜家とは別)、徳川慶喜家、紀州徳川家が消滅または消滅危機なだけで
子孫は大勢いる >>294
国際基準に合わせただけだろ
それしないと欧米列強に認めてもらえないから マイク真木の先祖が光圀の妹を嫁にした
家康の孫、結構な家柄
本人は人から教えられて知った 、水戸の先祖のお墓がずいぶんデカイなとは思っていたそうで >>334
家中での使用人ならそれもあるけど(お末とかいるしね)、この場合は嫁に出す姫にお付として実家から派遣するんだから、名も無き庶民の娘ではないと思うよ。 >>342
だっこされたのは喜久子殿下だけのような・・・ 徳川の華族はいっぱいいるし島津も皇室との関係によく顔を出すが
維新後毛利家の影はうすい >>351
守護大名が有力大名のまま幕末まで続いたのは島津と佐竹くらいだそうで血筋も良いのは >>351
長州は藩士が動いただけで、藩主家は積極的じゃ無かった印象
跡継ぎが分家からの養子だったのも影響してるかも。数少ない公爵家だけど、あんま偉業ないよね。
強いて言えば、当時、華族の住まいは東京にしか認められてなかったのに、何故か山口に本宅を建築できたお陰で、戦禍を免れた国宝が多数残ってるくらいかも。 昭和の時代は、毎年正月のテレビ番組に
旧華族のお姫様が振袖着て出演してたよ >>345
今から徳川幕府を開こうとすれば一応可能なんだな >>338
養子の件は知りませんでした
会津松平って容保の子孫ですか? >>7
彼女的には
「ちょっと弾けすぎかしら、ウフッ」 >>356
コ川家達に子供はいる。
松平容保の六男の長男の次男がコ川18代現当主
16代当主のコ川家達の長男である17代当主コ川家正、
その長女が松平容保の六男の長男の正妻
現当主は母方の爺さんの養子になり18代になったわけだ。 この人の朝ドラ見たいわ
魔王として覚醒して第二次大戦でアメリカに勝利し
ナチ野郎と最終決戦するifストーリーで >>319
1944年当時、フィリピンには60万人からの日本軍が駐留していた
それだけ居ればまあ何があっても大丈夫だと思うじゃない
しかし日本軍絶対ブッ殺すマンことマッカーサー将軍の攻撃に
50万人もの戦死者を出してもはや前線など消滅してしまった 久美子さん、現在95歳だと
>>364
60万て現在の鳥取県の人口より多いやん >>359
いくら家柄血筋が良いとはいえ、華族じゃなかった松平一郎に、公爵家のお姫様をよく嫁がせたよね、家正 >>366
妹が先に秩父宮に嫁いでいる。宮様の義兄なら公爵の娘も嫁ぐだろう。 もうすぐ死ぬのにこんなの出しても仕方がないだろうが。 ※徳川本家16代の子孫は 断絶
(徳川慶喜15代以降は分家扱い。子孫は本家じゃ無い)
※尾張徳川繁栄
※紀州徳川は 独身高齢女性子孫無し(分家関係無し)断絶
※水戸徳川繁栄 慶喜は、神君家康公の言いつけに背き、水戸の出なのに将軍となたクズ。
そして案の定、岩倉がでっちあげたニセ錦旗にビビッて徳川幕府を滅ぼしてしまう。
家康公が生きてたら恥さらしの慶喜を叩き斬ってるはず。 >>374
薩摩島津家・別邸庭園の仙巌園で開かれる春の催し曲水の宴に
公家摂関筆頭家の京都近衛家
江戸徳川将軍宗家
御三家筆頭家の尾張徳川家
譜代大名筆頭格の彦根井伊家などなど
仙巌園に日本の名家中の名家の現当主達が勢揃いして
公家や武家の古式正装に身をまとい優雅に和歌を詠んでた 朝ドラ向きだけど、将軍家だとセットが
大変そうだよな。 朝ドラの予算じゃ前半生のきらびやかな部分が難しそうだね >>381
徳川家は維新後、目立たぬように気をつかっていたから、他の大大名華族よりは質素。
そんなかでも、慶喜家は宗家に遠慮してさらに質素だから、いけるんじゃね? おねえさんの喜久子妃が書いたものかなんかで
遠足のお弁当かなんかのリクエストを聞かれて素直に答えたら
食い物の好き嫌いなどいうべきではないと怒られたとか
もの凄い質素で堅苦しい暮らしっぽかった >>388
お前は部外者だろ。
そこで黙って水戸れ。 存命中のけいきさんと接点があればドラマ化出来たね、惜しい >>387
高級なものといことではな、くあれが食べたいこれは嫌だ、と言うことが
贅沢、という考えだったみたいだね
普段は出されるものを素直にいただくのが良いこととされていたが
遠足の前日には出入りの和菓子屋が何種類もの菓子を見せに来て
その中からいくつかを遠足のおやつ用に選ばせてくれたことが喜佐子さんの本で書かれている
庶民なら駄菓子屋に行って学校から決められた額内であれこれ選ぶが
自由に買い物に行けないからなあ >>394
食べるものとか、お金とか、そう言うものに言及するのは宜しくないって言うことらしいね
酒井美意子さんとか、キッチン覗いただけで怒られたとか書いてたし
食事とか風呂とか庭仕事とかに従事する使用人は御目見え以下の扱い 嘘だと思うが40年くらい前に死んだウチの爺さんが、子供の頃に静岡に住んでいて徳川慶喜に遊んで貰ったことがあるとか言ってた。
慶喜をよしのぶではなくてけいきさんとか言ってたがw
もうボケてたんだろな。けいきってなんやねん!と。 俺の父方の祖母の父は満州と半島の米を内地に輸出して巨万の富を得てた、祖父の父は台湾省から総督府へ
母方の祖父の父は軍人で祖父は電力関係の役人
戦争にさえ負けてなければ、俺は好きな研究をしながら、お金にを稼がなくても良い環境で生きていたんだろうな〜 >>399
ヒエラルキーを考慮したら、その後の婚姻関係がガラッと変わるし、オマイが生まれてない可能性もあるw >>401
まぁその可能性は有るけど両家ともに雄藩の武家だし父と母までは普通に政略結婚みたいなもんだ >>397
俺のばあちゃんも子供の頃にケイキさんに遊んでもらってる
今生きてれば110過ぎかな 静岡じやケイキさんて呼ぶ人多いってのは覚えておくといいね >>402
ま、満州絡んでるなら、戦争に負けてなくてもいずれ中国にやられてるだろーね 自分は妾囲って子供まで産ませてるのに嫁が役者と遊んだら髪の毛引きずり回して怒ったんだっけ
すごい夫婦仲が悪かったとか
男って勝手ね >>405
静岡じゃなくても普通らしい。徳川一門の身内同士でもケイキって言ってるみたい >>408
そうなんだ
子供の頃から俺はずっとケイキだと思ってた >>409
証言あるけど?
松平幸子子爵夫人の証言
*慶喜の息子たちはみな慶喜に似て趣味人で、趣味の範囲が広い。
しかし、慶喜と同じく趣味であろうと女であろうと、対象に凝りすぎ没頭しすぎる傾向があった。
美枝子様は慶光様をお産みになったあと少し胸を悪くなさいまして、
一時期転地療養をなさったことがあるのです。
美枝子様というお方は歌右衛門が舞台でやる女形に似た美人のうえ
お気持ちのお優しいお方でしたので、
転地をなさる前に慶久様に御不自由をおかけしては申し訳ないという
お考えになられたのでしょう。御自分も納得の上で
宮家から連れてきた御側女中の中から一人を公にかしずけておきました。
慶久様は必然的な御身体の御要求かは存じませんが、
この女性を心底お好きになられてお愛しになったようです。
これはお父上や御兄弟と似た御性格でひとことに没頭なさいまして、
お二人の女のお子様をお産ませになるのです。
そろそろ美枝子様の御身体も回復なさっていらっしゃって、癪にさわってきたのね。
役者遊びをなさるようになったのだそうです。
そのうちにおみお腹もただならずおなり遊ばしたのね、妊娠したのよ。
慶久様は美枝子様のおぐしをお持ちになり、
お引き回しにされたことも何度かおあり遊ばされたということでした。
あまり御夫婦喧嘩かひどいものですから仲裁するお方があり、
再度日赤の顧問だか特使だかになってもらい、
渡欧だか渡米だかをしてもらうお約束が出来ていたのですよ。
冷却期間を置かせようとしたのでしょう。それで出発の期日も決まっていたようです。
その頃から公の毎夜召し上がる睡眠薬の量も急増しましたし、
自殺のように一部の方は思ってらっしゃるけど、
自殺じゃなくて眠られぬまま飲んだカルモチンの量を間違えた過失死だったの。
慶久様がお妾にお産ませになった二人のお嬢様は
無事育ってお嫁にいらっしゃいましたけど、美枝子様の方は存じません。 孫がまだ生きてるってのもスゲエが、95で作家デビューってのもスゲエ 倉富日記 大正10年12月20日
<倉富&牧野伸顕の会話>
牧野◆徳川慶久が一昨年頃、西洋より帰りたる後嫉妬を起こしたり。
その原因は不在中 妻が待合に行きたること家扶と私したることありということ等なる由。
慶久は一度は離婚を言い渡したるも妻これに応ぜず。
ある時は妻を厳責したるも服せざるため、ついに刀をもってその髪を切りたるも、
わずかに切りたるのみなりし由。その後 妻は葉山の有栖川宮別邸に行き居る由なり。
慶久は近々洋行する由なるが、娘喜久子を伴い妾を随行せしむる由にて、
妻は異見なきも娘が悪感化を受くることを気づかいおるとのことなり >>411
それ、実在の人の名前じゃないから匿名の証言 >>415
倉富日記がある以上どうしょうもないねw >>414
これに関しては、その後の自殺?もあるし、精神を病んでいた模様
つか、同じ日記に、妾は正妻が勧めたって書いてあるじゃん。子ども三人続けて流産したからってさ。 >>411
有栖川から上がった實枝子さんは胃癌で死去
開腹手術受けたときには手遅れでそっ閉じ
喜佐子さん久美子さん学習院初等科を卒業して間もない頃の事 >>418
いや、だから証言の方と日記の方で同じじゃないじゃん……
似てるけど違う
ワイドショーと新聞くらいには違うわw >>423
つか、自分に都合のいい部分だけつまむのね
何を言ってもムダって、何がムダなんだかわからん >>48
優秀な政治家
だが侍魂に欠けるって感じ
日本のトップにはこういう人が少なかったのかね >>13
いやー、おひいさまが泌尿器科で包茎・パイプカット連呼だぜ。
かなり波乱に満ちておられる 家康の直系ってもう40超えで子供いないんだろ?
なんとかできんもんかねぇ >>75
何番目かの息子は、勝海舟家の婿養子になってるよ。
勝海舟の早死にした嫡男が残した一人娘の夫として慶喜の息子が入り婿した。
「徳川慶喜家の子ども部屋」には、勝海舟の孫夫婦が早死にして、残された子供達をしばしば屋敷に招待していたエピソードがある。 この方の姉上が書かれた「徳川慶喜家の子ども部屋」は面白かったな。
この方は生まれる前に父上が亡くなっているのだよな、確か。
「徳川慶喜家の子ども部屋」では、武家だけど宮さまである母上から受けた宮家風の躾とか、
李王殿下が軍務の関係で一時期屋敷に寄宿していたとか興味深いエピソードが色々あった。
妹さんの本も読んでみたいな。 ケイキさんの子供が40人とかいたってのは聞いてたけど全員の消息ってわかってないのかな
清水次郎長の娘がお妾さんだったとかも本当なのか知りたい >>431
妾は新門辰五郎の娘でしょう
静岡に慶喜が行って辰五郎が次郎長に面倒頼んだらしい
慶喜の10男が勝海舟の家を継ぎその孫が東大院卒らしい >>431
40人ってどこからきいたの?
慶喜って子供は正室が一人死産、2人の側室にそれぞれ10人以上子供作ってるけど、それ以外いないでしょ
子供は死産だったとか娘はどこ嫁いだとか、記録残ってるよね >>435
一番上の姫は静岡時代の町娘の子どもみたいよ。詳しい系図みたら、成人した一番上の子どもには母の名前が空欄だったり、もしくは居なかった事になってたり。
後の正式な側室の二人は、仲良く12人ずつ生んだと書かれていたりするね 親父の斉昭が37人子作りしたから混同してるかも?
慶喜、37人兄弟か 子供の頃に遊んでもらったと言ううちのばあちゃんの家系とかちゃんと調べたら静岡時代のケイキさんの近くにいた町民とか分かるんだろうけどね
じいちゃんは東部静岡の天領の管理に関わっていた元侍の家系だそうだけど大正昭和にはどこかの松平さんのもとで働いていたそうだ >>439
それかな
でも慶喜さんも20数人か
揺れてる 徳川宗家の子孫はフィリピン人と結婚して
断絶しそうなんだっけ? >>1
西郷どんはもうそこまで進んできてるんだ。
例の短刀一本あればすみもそもそろそろやるんかな?
テレビ買わなければな >>399
自分の爺さんは一往満鉄の区長<実際は馬賊やハチロ軍侵略の警備>だったから
毎晩軍関係と豪遊で、世界一のあじあの壱等車パス持ちで優雅だったらしいな >>48
いや、慶喜が本気で軍をあげていれば確実に勝てた。
尾張藩と江戸幕府軍で東海道で挟み撃ち。新政府軍は完全に全滅。 読まなきゃ評価しちゃいけないだろうけど、スレタイだけでもう・・・ね・・ >>399
戦争に負けてさえなければって仮定がもう無理ゲーだろ 江戸時代からまだ150年しか経ってないんだなあ。
江戸時代が265年間。
産業革命や発電が発明されていなければまだ続いてたかもね。 >>446
銀河帝国最後の皇帝フリードリヒ4世みたいな気分だったんじゃないかな 戦争に負けてなきゃってうちはそこいら中にあるよね
家もそうだけどw
戦前いい場所にいて戦後もうまくキープ出来た家も沢山あるけどうちの爺さんが仕えてた松平さんは戦後没落
知り合いの黒田、吉川元華族家なんかは安泰 徳川慶喜は日本ではじめてのプロのカメラマン。
マメな。 徳川慶喜の孫娘が戦国時代にタイムスリップして徳川家康に天下を取らせるとかいう話なら買ったのに自叙伝とはつまらん >>442
ベトナム人ね
御夫妻は猛反対したらしいけど
家広氏が徳川から除籍してまで
結婚すると頑な態度だったみたいで
もう仕方ないみたいな感じになったらしい
>>446
尾張徳川藩は慶喜が率いる徳川幕府には
最初から猛反対だったんで
慶喜の要望を無視して明治政府に付いた経緯があった >>15
江戸時代260年
江戸時代が終わってからまだ150年 >>78
その農民の大半が戦国以前は武士だったりする。
「のぼうの城」でもそんなセリフがあった。 >>458
結構明治は近いんだよね
シーボルトのひ孫って人に会ったことがあってワロタ
英語の先生が西郷弟の孫だったとかもね >>457
明治にもなって無いのに明治政府にどうやってつくんだ、勝手に歴史作るなよ
徳川幕府存続に色気があった尾張、結局ビビり左幕派は弟の容保に乗り換え
尾張公が立てば慶喜を引きずり下ろし幕府再興もあったが内乱になったろうね >>401
>>444
>>449
ほぼ可能性は無いけど日韓基本条約が破棄されて、互いに請求権が復活したら僕的には死蔵してる権利書とかが凄く役に立つかも
お婆さんは「土地は取られてしまうから買わないで!!持ち帰られる財産にしろ」って死ぬまで言い続けてた
婆さんの気持ちも解るけど、70年代に爺さんが仕事上で知り得た情報で土地を買おうとしたのも止めちゃった
某国立大学移転先の土地情報で、その時に買ってくれていたら… デカブツのくせになーんにもしなかった加賀百万石がいちばんなさけないだろ 江戸中期、将軍吉宗と尾張藩は経済政策を巡り対立して吉宗は尾張藩主を強制隠居させた
それ以来幕府は尾張藩主人事に介入し続け、藩内には幕府への不満が渦巻いていたのだ 尾張名古屋藩は土壌的に従順というか元々保守的な尊皇派だから 過激な尊王派の水戸家出身でで母親が皇族の慶喜が将軍になってしまうという。 >>464
関が原の恨みもないし、徳川とは親戚だし、家老は本田忠勝の子孫だし… ばばあに書けるはずがなかろう
これ誰が仕掛けてるんだ? >>69
よく知りもしないで日本人を語るやつキモスギ >>465
水戸藩にも介入しているよ
斉昭の兄が死んだとき将軍の子を入れよううと工作する者もいてお家騒動、ここから紀州派との確執も
斉昭が継げても二度失脚して隠居している
武器製造や偕楽園造成を咎められた(偕楽園は要塞だった実際)
水戸のご隠居待望論は水戸黄門のモチーフに、水戸藩が流したプロパガンダ説も
そこに水戸徳川家と有栖川の子慶喜登場 、時代のキーマンに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています