この人の姉の榊原に嫁に行った人が書いた本を読んだけど、けっこう面白かったわ。
徳川宗家は養子に譲って隠居してたんだけど、明治の30年くらいに慶喜家として
独立して華族になった。公爵だな。
この人が子供の頃に、高松宮妃が嫁に行き。

慶喜は明治になってから10男11女を儲けたらしいが、女は旧大名家へ嫁に行き、
男は鳥取池田家、勝海舟の養子になってる。

慶久が跡をついで、有栖川宮の娘を嫁にもらう。
はっきりとはわからんが、この人ともうひとりは嫁の子じゃなかったぽいな。
だけど、差別なく一緒に育てられたように書いてた。
まあ、武家だし。

姉の喜久子妃は正真正銘の公武合体だな。
高松宮に子供がいればよかったけどな。