日大の暴力体質は50年前からそのままだ 「少数の権力者たちが学校を私物化するという「歴史」

少数の権力者たちが学校を私物化し、その周りに甘い汁を吸おうという輩が群がり、学生たちが払っている学費をぶんどるという図式である。
危険タックル問題以降、次々に明るみに出る日大の暗部だが、1960年代後半に学生生活を送ったわれわれの世代には、
こうした構図に“既視感”をもつ人が多いはずだ。

『文春』で、日大芸術学部出身の作家・林真理子がこう書いている。
「今度のことでわかったと思うが、日大というところは、とことん根が腐っている。こうなったら学生諸君、
ぜひ起ち上がってほしい。私は経験していないのであるが、七〇年前後に学生運動という大きなムーブメントがあった。
その中でも注目を集めたのは『日大闘争』。学生側が大衆団交して、トップに退陣を迫ったのだ。警察も介入して、あの頃は凄い騒ぎだったと記憶している」

正確には1968年から69年にかけてのことである。
20億円の使途不明金、定員の3倍もの水増し合格、検閲制度、右翼暴力学生の跋扈を許し、時の政治権力と一体となって、
わが物顔に日大を牛耳っていた古田重二良会頭をはじめとする理事たちに、敢然と反旗を翻して学生たちが立ち上がったのが、
学生運動史に燦然と輝く50年前の日大闘争であった。
プレジデント オンライン
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