公判では、リンさんの母グエン・ティ・グエンさんの意見陳述書を、裁判長が読み上げた
https://www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/201806150000582_m.html?mode=all

主な陳述は以下の通り。

私は殺害されたレェ・ティ・ニャット・リンの母です。
私がリンを出産した時、リンの父親は日本で暮らし、日本で仕事をしており、私たち夫婦は、日本に対する愛から、授かった娘に「ニャット・リン」(ベトナム語で日本・輝き)と名付けました。

日本に対する愛と日本の人々に対する親愛の気持ちから、私は、リンが3歳になろうとしたころ、リンを日本へ連れてきました。

私たち家族は、日本での美しい未来を夢見ていましたが、今日、こうして裁判で私の娘の痛ましい死について話さなければならない日が来るとは、よもや思ってもいませんでした。

私は、この愛する日本で、娘が9歳で人生を終えなければならなくなるとは思いもしませんでした。

私の娘リンは、素直で優しく、誰のことでも良い人だと思える子どもでした。

娘は日本をとても愛し、日本で暮らせることを誇りに思い、いつも日本について話していました。

娘はよく、ベトナムにいる祖父母や親類に、「日本人は私人とてもよくしてくれてみんな私をかわいがってくれるの」と話していました。

娘は、まだ幼いながらにもベトナム語と日本語の2カ国語を頑張って勉強し、将来2カ国の懸け橋になりたいと夢見ていました。

それなのに、娘の夢、信念、日本や日本人への愛は、小児性愛者の殺人者によって無残にも打ち砕かれてしまいました。

犯人は無慈悲にすべてを奪いました。

犯人は、下劣な情欲だけのために、私の娘の命と将来を奪ったのです。

みなさま、考えてみてください。1人の人懐っこい子どもが、ある日突然、誘拐され、暴行され、さらには陵辱された上に、残忍な殺され方をする。

それは、あまりにも残酷で不公平なことだと思いませんか。

犯人は、私の娘を痛めつけ、いかなる物でもいやすことができない精神的苦痛を私の家族に与えました。娘を失った苦しみは、寝ている時でも私を離れることはありません。

私は娘の遺体を引き取った時の感覚を死ぬまで忘れることはないでしょう。

殴られて腫れ上がり、あざができた娘の顔、棺の中で横になり、つむられた娘の目、娘の冷たい手を握った私の心は、千もの針で突き刺されたようでした。

私は泣くことも叫ぶこともできませんでした。