http://www.afpbb.com/articles/-/3177646?act=all

内戦と国内外避難で激変したシリアの人口分布図
2018年6月16日 20:09 
発信地:ベイルート/レバノン

【6月16日 AFP】7年に及ぶ内戦と大規模な避難や移動によって、シリアの人口マップに大きな変化が起きている。国内の民族間、宗教間、政治派閥間別に消し難い境界が生じている。

 避難民やアナリスト、人権活動家らはAFPの取材に対し、分裂した国土の中で反体制派は追放され、少数派は互いに寄り集まるようにして暮らし、それぞれのコミュニティーは以前よりも同質化していると述べている。約1100万人ものシリア人が国内外に避難し、帰郷がかなうか否か分からない状況下で、人口分布の再編は今後も続くだろうと彼らは言う。

 反体制派の戦闘員だったスンニ派教徒のアブ・ムサブ・ムカサルさん(25)は、生まれ故郷のホムス(Homs)の街へ帰還することはないかもしれないと考えている。ホムスは現在、シリア軍に完全に掌握されている。「政権側の支配地には二度と戻れないかもしれないし、アラウィ派(Alawite)の教徒とは二度と隣り合って住めないかもしれない」。アラウィ派はイスラム教シーア派の少数派ながら、バッシャール・アサド(Bashar al-Assad)大統領が属する宗派だ。

 シリアではアラウィ派のアサド家が率いる少数派政権が、数十年にわたって多数派のスンニ派を支配してきたが、国内の亀裂は以前よりもいっそう増しているとムカサルさんは言う。「もちろん、自分の息子にはすべてを語るつもりだから、私たちにこんな仕打ちを与えた彼らを息子も憎悪するようになるだろう」。インターネット上のメッセージング・プラットフォームで接触したムカサルさんはそう述べた。

 5月末にムカサルさん一家がバスでたどり着いたイドリブ(Idlib)県は、アサド政権が奪還した地域から移動してきたスンニ派の反体制派戦闘員とその家族ら数十万人のかけこみ先となっている。ムカサルさんは「気づかないうちに人口分布は変化した。この国は分裂してしまった」と語った。

■非難の応酬

 ムカサルさんはシリアの新たな宗派分布として次のような概略を語ってくれた。「北部がスンニ派、北東部がクルド人。(沿岸部の)ラタキア(Latakia)、タルトス(Tartus)、ホムスがアラウィ派とシーア派だ」

 2011年の内戦開始前は、人口の65%をスンニ派アラビア人が占め、15%がクルド人、残る約20%を少数派の教徒が占めていた。シリア専門家のファブリス・バランシュ(Fabrice Balanche)氏によると、内戦が始まり、アサド政権の支持者とみなされていたアラウィ派とキリスト教徒らは反体制派によって各地で追放された。アサド政権側は支配地域を失ったが、その周辺のアラウィ派、シーア派、キリスト教徒がかえって結束し、より強固な拠点となったという。「現在、シリア人口の70%が政権側の支配地域内にいる。そのうち3分の1以上が少数派だ」

 こうした人口移動の一部は、「4都市交渉」を含む住民交換を通じて生じたものだ。4都市交渉とは2015年以降、フア(Fuaa)とケフラヤ(Kafraya)の多数のシーア派村民を首都ダマスカス(Damascus)へ移動させ、マダヤ(Madaya)とザバダニ(Zabadani)のほぼ同数のスンニ派教徒をシリア北部へ移動させて物議を醸した住民交換だ。

 アサド大統領は2017年のAFPのインタビューで、住民の移動が「強制的」だったことを認めたが、「一時的」な措置だとも述べた。だが、少数派は帰郷は想像できないと言う。

 一方、クルド人が多くを占めるシリア北西部アフリン(Afrin)では今年に入り、トルコ軍の攻撃によって13万7000人超が近隣のアサド政権地域、またはさらに北東のクルド人地域への避難を余儀なくされた。避難した彼らの元の家には今、他の避難民たちが住んでいる。それには、反体制派の拠点だったダマスカス近郊の東グータ(Eastern Ghouta)地区からバスで移住させられた約3万5000人も含まれている。自分たちの住まいを占拠された、あるいは破壊されたアフリンの元住民たちは、帰還は遠い夢だと考えている。

 クルド当局は民族分布の変化はトルコ政府のせいだと非難している。観測筋によると、トルコ当局は自国領内に逃れているシリア難民350万人をアフリンに再定住させたいとも考えている。
(リンク先に続きあり)
(c)AFP/Maya Gebeily and Rouba El Husseini