【考古学】淡路島銅鐸、朝鮮半島の鉛使用か
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http://www.topics.or.jp/articles/-/66375
淡路島銅鐸、朝鮮半島の鉛使用か
2018/06/27 19:45
兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった青銅祭器「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期―中期)の成分を分析した結果、含まれる鉛は、朝鮮半島産とみられることが分かり、兵庫県教育委員会などが27日発表した。銅鐸の素材の流通や入手先を解明する手掛かりとなりそうだ。
銅鐸は古い順に菱環鈕、外縁付鈕、扁平鈕、突線鈕に分類され、松帆銅鐸は菱環鈕1個と「外縁付鈕1式」が6個。
鉱山ごとに異なる鉛の特徴を比較する鉛同位体比分析による他研究者の成果では、菱環鈕と外縁付鈕1式は朝鮮半島の鉛、外縁付鈕2式以降は中国・華北地域の鉛を使用したと考えられており、今回の分析結果も一致した。
7号銅鐸から見つかった「舌」の3次元計測図(南あわじ市教育委員会提供)
http://tokushima.ismcdn.jp/mwimgs/b/b/400h/img_bbcefcc59c020fb91ee33e02cbf7505b5755.jpg / ̄ ̄ ̄Y ̄ ̄ \
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「関わらない・教えない・助けない」 百済民族な今のチョンの先祖じゃないオマエ等は滅ぼした方 青銅の鋳造技術が日本で発祥したなんて考えてるバカはいねえだろ 任那に日本人が入植してたっていう説もあるからそこまでおかしくもないだろう。
前方後円墳も日本から朝鮮に渡ったっていわれてるぐらいだし。 青銅祭器「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期―中期)の成分を 朝鮮半島からの輸出品が日本で使われていて
良かったじゃないですか >>17
韓国が今一番返して欲しいのはシチシチトウ
奈良の石上神宮に1500年以上眠っていた
倭国に献上した百済の宝刀 そもそも銅の国内産出って奈良時代なんだからそれ以前だと海外から入っていてもなんらおかしくないわけだし 一方で、日本でしか捕れないヒスイの勾玉が百済・任那・新羅で大量に見つかってるよ アボジとは、朝鮮語で「父」と言う意味。
淡路島とは、父島と言う意味 朝鮮鉱業と日本工業との間で取引が有った訳ですね分かりました >>26
僻地辺境最下流どん詰まりの吹き溜まりも威張れたもんじゃないけどな 洛東江付近にある2世紀の鉄鉱石採掘跡。
日本列島の土器しか出ない採掘跡が見つかっている。
弥生時代後期には、鉄を求めかなり活発に半島に進出し、日本列島に鉄をもたらしていたと考えられる。
銅鐸はもっと古いが、日本列島から朝鮮半島進出していたんだろう
魏書東夷伝韓条に韓(馬韓、弁韓、辰韓)は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と隣接していると記されている。 この記述が気になる。
朝鮮半島南部の沿岸部は、元々倭の領域だったのかもね。卜骨も出てるし、倭人の活動範囲だろうね。 >>38
淡路島は古くは「あはぢしま」と呼ばれていたので、朝鮮語のアボジとは一切関係ありません >>13 そうは考えて無いけどクオリティは当時から日本>中国>(或いは無い壁)>朝鮮だった 群馬で古墳時代の遺骨が見つかったとき
その人物は長野県の伊那谷出身で渡来系の骨格
という情報だったのに
毎日新聞は、
渡来人のリーダーシップ
みたいな記事を書いてた
朝鮮人って生きてるだけで恥だ 福岡の宗像あたりは昔操船技術に長けた海の民の支配地で船で半島や瀬戸内あたりにまで出ばってたらしい 鉄と同じように鉛も朝鮮半島に取りに行ってたんじゃないの 朝鮮半島に、鉄を求めて中国本土や日本列島から人々が進出していたと考えられている。
鉱石の採掘目的の植民地みたいなものだな >>13
稲作の技術を日本が朝鮮に伝えたという人もいるんですよ!! ニダ━━━━━━<丶`∀´>━━━━━━!!!! 狛江、駒澤、などコマが付く地名は高麗(こま)からの移民の入植地が起源 銅があったということは紀元前にチョンちゃんランドに国家があったと考古学者は考えてるのか?
石器時代の可能性ならかなり高いと思うけど弥生時代にチョンちゃんランドに銅があったとかねーわw 鉄のルートは研究が進んでいて、
朝鮮半島→出雲→播磨東部摂津西部→淡路島らしいな >>44
>>46
>>48
朝鮮カルトお疲れ様
そこまでの軍事力が縄文人にあったら
当時からすでに中国は縄文帝国だったろうに
倭人=在日朝鮮人
倭人の正体はキミたちが大好きな朝鮮人な
倭人が日本の先住民ということは
1億%あり得ない >鉱山ごとに異なる鉛の特徴を比較する鉛同位体比分析
鉛ってものすごく不安定なのか… もともと古代朝鮮半島南部は日本の植民地だったからな >>54
朝鮮に水稲栽培を教えたのは日本じゃないの?
朝鮮はもともと陸稲栽培でしょ 古事記によると淡路島は日本発祥の地
つまり日本人のルーツは朝鮮半島であるのが確定した 現代朝鮮人って顔をじっくり見ると
見分けがつくよね?
在日でも帰化人でもよく見ると
違う
当時の朝鮮人はわりと区別が付きにくかったのかな 京都の八坂神社は新羅系。
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神祇官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。
創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が
新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/
http://i.imgur.com/NfonxPW.jpg
http://i.imgur.com/DkjgWdz.jpg
八坂氏は朝鮮渡来系。
実は金姓は昔から日本にいた。
山城国 諸蕃 新羅 真城史 史 出自新羅国人金氏尊也
新撰姓氏録(1200年前に作られた日本の姓氏の集まり)
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokusiragimimana.html
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokumokuji.html
ヤマトの国は奈良県だが、すぐ近くの山城国(京都)には新羅国王の子孫の金氏が住んでいた。 天皇には新羅王子の血が流れている
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事 記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播 磨国風土記』には神として登場する。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の 子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理 (たぢまもり・田道間守{日本書紀})であ り、
次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神 功皇后 )の母、葛城高額比売命であるとされて いる。
しかし日本書紀において結婚したのはアメノヒ ボコでなく意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)とされている点で異なる。
また古事記ではアメノヒボコの話は応神天皇の 段にあり、応神天皇の治政を述べるくだりで出 現する。
日本書紀では応神天皇は神功皇后の子であり、 神功皇后の母はアメノヒボコの末裔の葛城高顙 媛(かずらきのたかぬかひめ)であるため、
古事記と日本書紀では系譜(アメノヒボコが出 てくる話の時系列)が逆転している。
http://i.imgur.com/E3linwh.jpg >>73
http://emisi.jp/swfu/d/auto_c0UCtd.jpg
※ 続日本記・天平5年4−7月記【参考文献】
出 典 続日本記 二 271頁 抜粋 金徳師 項
【金 氏】
持統4年(695)、新羅王家後裔の許満等12人が京より武蔵国に下向居住するに始まる。
天平5年(733)、徳師の代にさらに新羅人男女53人が武蔵国埼玉郡に居住、子の知仙は陸奥国美原郡伊治城に遷る。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03021.htm 銅鐸は中国南部だろう、中国南部に同じような鐸が見つかっている。下戸遺伝子の分布とも重なるしね
国生み神話のモチーフも中国南部に多い
下戸遺伝子や銅鐸の分布の中心環大阪湾は、遺伝子的にも中国南部由来の人が多い >>63
https://i.imgur.com/DMUIpO0.jpg
http://www.mohr-mcpherson.com/blog/wp-content/uploads/2015/07/9896889874_a000749cc7_b-1024x781.jpg
●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。
●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には
当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているよ
うです。アボリジニの先祖Y-DNA 「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同
じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。
●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維
持し続けた、と考えられています。 アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を 守ってきてくれているのです....感謝!
出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保 護しなくてはなりません。
●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩っ たり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。
●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。
●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火
を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、 木への落雷によって引き起 こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。
●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族 民がイギリス人の海軍に殺されました。
●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。
日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島 先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。大反省....です。
イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、 文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、 インド亜大陸やビルマ(カレン族)か らの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、
1927年には100人の生存者 だけになったそうです。 1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復してい るそうです。
その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先 住民 Y-DNA「D*]が絶滅する前に、
同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行 えるといいですね!
https://web.archive.org/web/20160223020324/http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/show_image/sanjuro.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/01/07/andamanese.jpg
『アンダマン島土人は地球上最小の人種なるべし。
二、三の人類学者は南アのブッシュ人、アメリカの掘食(デイガ)インディアン、フィジ島のテラ土人等をもって最小なりとなせども、
本島の土人は平均身長四フィート以下にして、成人者中にもはるかにこれに満たざるもの少なからず。
一度信をおくときは、きわめて厚き友情を示すことあるも、一般には残忍獰猛にして気むずかしく、馴致しがたき人種なり』
(延原謙訳)
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/66999919 モンゴルと女親族の血の方が圧倒的に濃いのが
いまの朝鮮人だろうけど
昔の朝鮮人は朝鮮南部の人たちみたいな
顔つきだったのかね
盧武鉉みたいなかんじの 弥生人のルーツは朝鮮半島南部の原住民だからな
当たり前の事実だ 日本の弥生時代だと中国は漢の頃か
ということは朝鮮半島(の北部?)は中国の領土だった時代? 遺伝子的に朝鮮半島色が強いのは山陰、奈良、関東
山陰は地理的に近いから当然か
シラ、白、
新羅も本来はシラなんだな
白根、島根、鳥取→新羅、神奈川、埼玉
こんな人々の移動があったのかもね 朝鮮半島由来のの何か銅製品を溶かしてリサイクルしたかも知れんし、
なんともはや 当時から日帝が搾取していた証拠だな
謝罪しる賠償しる ξ´・ω・`ξ で、神戸やまぐちぇ組のチョーセン井上が、
粘土で型を取って本国に売ってたりするんでしょ?
淡路島タマネギの生姜焼きから銅鐸まで、全て話が唐突だこと。 >>88
中国の史書によると新羅の語源は秦らしいぞ
新羅人が秦人の子孫を自称したからだとか。 >>95
弓月←これを現代韓国語でクダラと発音する 「多婆那国」とは、「三國史記」卷第一 新羅本紀第一 脱解尼師今の段に出てくる「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」にある国名で、日本の学者は元より朝鮮半島の学者も現在の「日本国」と解しているようである。
日本(倭)人が新羅の王とは娘婿(新羅第二代王南解次次雄の長女の夫という)とは言え穏やかならざることだが、当時の新羅は韓人と倭人が入り乱れていたようであり、韓人の勢力が強いときは韓人が王となり、倭人が優勢になると倭人が王となっていたようである。
したがって、王家も三家(朴・昔・金)あったと言う。そのうち昔(ソク)氏が日系の王家で八名が王位に就いた。 『隋書』新羅伝
其王本百濟人、自海逃入新羅、遂王其國。傳祚至金真平、開皇十四年、遣使貢方物。
高祖拜真平為上開府、樂浪郡公、新羅王。其先附庸於百濟、後因百濟征高麗、高麗人不堪戎役、
相率歸之、遂致強盛、因襲百濟附庸於迦羅國。
その王は本の百済人で、自ら海に逃れ、新羅に進入し、遂にその国の王となった。
温祚(おんそ)から伝世、金真平(王名=金姓)に至り、開皇十四年(594年)に遣使を以て方物を貢献した。
高祖は真平を拝謁し、上開府、楽浪郡公、新羅王の爵位を賜る。
その先祖は百済に従属し、後に百済が高句麗を征したが、高句麗人は戎役に堪えられず、
相次いで帰国し、遂に強勢となり、百済を襲い迦羅国を従属国とする。
http://www.geocities.jp/mb1527/N1-04-1siragi.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E7%A5%9A%E7%8E%8B 諸子「百」家 と 「斉」の王 が「?」(さんずい=海・水)を渡ってやって来た国 = 百済 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています