天誅組事件は、尊皇攘夷運動運動が会津らの統制で行き詰まり、ヤケのやんぱちしてた頃の事件であり、やったことは単なる反政府テロ(武装蜂起と代官殺害)で終わっている。

しかし主要人物が朝廷尊皇攘夷派と土佐藩尊皇攘夷派であり、
時期を誤らなければ新政府の主要メンバー足り得た人々だったので、
明治維新後で官軍認定となった。