そもそも秀吉が最初のバテレン追放令を発したとされるのであるが、
その実施は甚だ不徹底で、大都市のセミナリオを撤収すれば地方部では堂々と普通に活動している
という具合で、実際上ほとんど影響がないとも言えるものだった
また初期段階ではイエズス会だけが対象で、ライバルであるフランシスコ会やドミニコ会などは
逆に秀吉から貿易の命を仰せつかるほどで
あまり本格的なバテレン追放令ではないとされている

そもそも秀吉がバテレンに怒り出したのは、イエズス会の当時の責任者であったコエリョという思慮の浅い幹部が
秀吉に対して、イエズス会はスペイン本国の艦隊を呼ぶ書状を出せると半ば脅すような言動をしたのが原因のようである
当時イエズス会の貿易・軍事部門は、軍人出身者もいて、
イエズス会上層部はこうした軽率な幹部に再三注意していたのだが
やはり駄目だったようである
もしイエズス会がしっかりと統制されていたならば、そもそもバテレン追放にならなかったかもしれない