【国際】兵馬俑はなぜ一重まぶた? 顔料の色落ち説、職人の手抜き説、一重まぶたが漢民族のシンボル説
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兵馬俑(2016年5月6日撮影、資料写真)
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始皇帝の兵馬俑(2015年6月27日撮影、資料写真)
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【7月7日 CNS】中国・陝西省(Shaanxi)西安市(Xi'an)の文化的な観光資源は実に豊かだ。周、秦、漢、唐などの王朝が、この地に無数の文化遺跡を残した。
大雁塔(Big Wild Goose Pagoda)、鐘鼓楼(Bell Tower of Xi'an)、西安城壁(Fortifications of Xi'an)などがある。だが、最も世界を揺るがした遺跡は、「世界八番目の不思議」と呼ばれる秦の始皇帝の兵馬俑(Terracotta Army)だ。
兵馬俑を見たことがある人は、その膨大さ、緻密さに感服させられただろう。
千年もの間、黙々と始皇帝を守護してきた者たちが、全員一重まぶたであることに注目している人はそう多くない。
兵馬俑の兵士が、なぜ一重まぶたなのか。実は考古学界でも、この問題は大きな論争になってきた。幾度もの議論を経て、諸説がある。
■その1・顔料の色落ち説
兵馬俑の兵士は人間を模して製造されたため、表情は実に生き生きとしており、二重まぶたも一重まぶたの兵士も存在していたと考えられていた。しかし、二重まぶたは顔料を使用して描かれていたため、発掘された際に空気に触れ、酸化したことで顔料が色あせ、一重まぶたになったという説だ。
■その2・職人の手抜き説
二重まぶたがないのは、仕事に手抜きがあり、わざと二重まぶたを描かなかったという説だ。
ただ、この説にはあまり信ぴょう性がないように思われる。人に模して製造された大小の陶器製の兵士に、手抜きをするためだけにまぶたを描かないことがあろうか。秦の始皇帝が、職人に適当な仕事をさせたとも考えにくい。
■その3・一重まぶたが漢民族のシンボル説
ある専門家は、兵馬俑は芸術品であり、人を模してありのままの姿で製造されたと考えている。そのため、兵士が一重まぶたであった原因は、当時のモデルとなった人間が一重まぶただったことに由来している。
2200年前、秦を統治していたのは、西北地域に住んでいた人々で、モンゴル人や東アジアにルーツがある人種で、相対的に単一民族だ。この民族の身体的特徴の一つが一重まぶたであり、蒙古ひだ(目頭を覆う部分にある皮膚のひだ)があることだ。
医学用語では、「内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)」と呼ばれ、東アジアや東南アジアの民族に多くみられる。
晋の時代、漢民族は各地の民族と同化し、秦や漢時代のように単一民族ではなくなった。特に、魏晋南北朝時代には、北方の遊牧民族が南下して来た影響で、漢民族は南方の土着民族と同化した。そのため、唐時代の壁画や彫刻には、鼻が高く目が大きい胡人の姿が見られる。
一重まぶたとつり目は、漢民族の変わらぬ美意識の主流だ。唐時代の美人画では、細い目のつり目か一重まぶたが多く描かれている。
千年の月日が流れ、秦の兵馬俑はすでに秦帝国の栄枯盛衰を忘れ、血統に関心を払う者はいない。兵馬俑の形状や表情を通して、当時の文明や社会の様子を理解することができる。今日に至るまで、兵馬俑は人類の歴史と文化の宝庫であり、依然として無数の神秘が眠っている。新たな発見とその継承が待たれる。(c)CNS/JCM/AFPBB News
AFPBB News 2018年7月7日 10:48
http://www.afpbb.com/articles/-/3181512 >>222
半島の遺跡から糸魚川産の翡翠がけっこう多数出土してんだよね >>745
基本的に中央から蹴散らされた勢力だから出雲
各地に散ってるんでしょ
あと物部が天皇家の下で祈祷とか祭祀と軍事を司ってたのもちょっと関係するかも >>747
銅鐸は、大陸にあっては家畜の鈴でそれが
日本にわたると観賞用になった、ってのが
なんでだろう、と思う
家畜が沢山いなかったとしても(確かに大草原はない)
巨大化してく、ってなんでだろう・・・
当時としては美を競うようなツールだったのかなぁ
剣や壺でも競えるように思うけど >>750
倭人は半島にも住んでて日本海を行き来してたんで
あと糸魚川の姫は大国主にインターネット嫌々制圧された国の女王という伝説もある
倭人も一つの国じゃなかったんだし >>743
ヒッタイトは、アジア人ではないよ。
ヒッタイトは印欧語族、白人だ。
ヒッタイトは鉄の製法を最初に発明した遊牧民
最初は今の黒海北岸のあたりウクライナのあたりに
いた遊牧民だが、鉄の武器とともにステップ草原地帯を
草を求めてあちこちへと行ったわけだ
この鉄の武器と、遊牧民の馬で、ヒッタイトは
騎馬民族として最初に猛威を奮い、
メソポタミアのバビロンを征服して
人類最初の帝国を建設した。
バビロンの鉄の帝国だった >>754
日本の言語のルーツが中国のインド寄りにあると言ってる学者もいる
眉唾扱いだけども 今の中国人は
全員チンギスカーンの子孫だぞ
やつは中国の若い女全員レイプしたんだぞ >>753はインターネットを抜いてお読みくださいましw >>566
アホの一つ覚えみたいにイネの遺伝子の話を出す奴がいるが
中国に8種類の稲の遺伝子があって朝鮮には7種類あり
日本にはたった2種類しかない
これはボトルネック効果で日本の方が稲の伝達が遠いことを示す
朝鮮半島においてない1種類のものが日本にあることから
朝鮮半島経由でなくイネの遺伝子が伝わった可能性があると佐藤洋一郎という学者が指摘したわけだが
この当人の佐藤洋一郎は考古学の常識(最古級の菜畑遺跡・板付遺跡においてあきらかに朝鮮の影響がみられる)
を知ってるから「後年の段階で遺伝子が来た」のではないかとちゃんと著作で書いている
ネトウヨはその部分を読んだことがないか故意に無視している 日本人のルーツみたいな話と縄文人弥生人みたいな話に脱線しすぎてるよねw
まあ、日本は、豊臣秀吉とか徳川家康の時代が、当時世界一の経済力と文化と軍事力があって
(世界中の王様はみんな途絶えたが)天皇は何百年も続き、今も継続する世界でも珍しい数少ない王様。
それがあるから日本はいつまでも他とは違う国なんだよ。
なんて、日本スゲー話すると兄さんが黙ってないが。 弥生ていうのは、やはり戦乱を逃れて長江方面から
稲作技術を携えて海を渡って来た江南人という説が正しいと思うよ
日本での弥生人の出現と、秦の始皇帝による中国統一が時代的に
一致している。
中国ていうほどでなくて、かなり文明が遅れていて、
秦の始皇帝が中国史上始めて、鉄の武器を使用して
中国を統一した。まあこの時代に、日本で弥生人が
出現するのだから、その弥生人の最初はまだ青銅器だった
かもしれない。 >>71
それ大陸系弥生人のプロパガンダな
そう言って先住日本人に対する侵略戦争を正当化した その一種類だって朝鮮半島から渡った後
朝鮮半島においては淘汰された可能性も十分ある
当時とは気候がずいぶん違っているわけだから
それとは別に1980年代から稲のプラントオパールの痕跡が見つかり
縄文時代にも実は焼き畑による稲作があったのではないかという話が考古学で盛り上がった
(縄文時代からは農具が全く見つかってないので農耕が行われてるとしたら焼き畑しか可能性がない)
しかしそのあと科学技術が進歩して熱意を持った学者がどれだけ縄文稲作の痕跡を探しても
確かな証拠がみつからないので縄文稲作に対して懐疑的な方向に収束している
過去の証拠といわれるものに確かなものはないというのが事実(6000年前のプラントオパールとかね) モンゴル人は縄文人とは全くの無関係だが圧倒的に二重瞼が多い
同じツングースでも朝鮮人は一重が多い。 >>762
弥生人も一度に来てないからそれだけじゃないと思うけど
最初の急激な変化はそれが大きいだろうね >>757
体型的に、兵馬俑は肩幅が広くてガッシリとしているな。
古代の栄養不足が通常の時代でこの体型は、やはり
北方騎馬民族でスラブ系白人だったのでないのか
だから、鉄の武器を中国史上最初に使用することが出来て
中国を統一した 上の方で、大きな目の日本人形を見たことない、と書き込みあったけど
ネットオークションで日本人形、と検索すると、どの人形も黒目は大きいよ
目もそんなに細くない
つまり、チョンのような細目、享保雛のような細目、こけしや浮世絵のような細目、
から比べると、随分大きな目、と感じる。しかも黒目を大きく作ってある
日本人の細目とチョンの細目は違う、と言いたいだけなのだがw >>750
2chのコピペで、もっと遠い所でみつかったようなのも
読んだことあるな、半島なんて全く近い、というような交易圏? 中国っていろんな民族に侵略と略奪と破壊を繰り返されているからね。
三国志の関羽とか張飛なんてモンゴロイドか疑わしいしw 稲作に関しては最新のデータでは
朝鮮半島と日本において500年の開きがある
もちろん朝鮮半島の方が500年古い
稲作のことばかりが言われがちだが、イネ・アワ・キビの
農耕が朝鮮半島では成立していて
弥生時代にそれらが同時に日本に伝わった
そして朝鮮半島ではアワやキビが主体で水稲作をおこなっていたのは
一部の集団だったという指摘がある なんでニートがNGになったんだ滝川クリステル
親父の頭の上のW回路か、エマ・ワトソン 唐の時代までは都って内陸にあったんだよな
西方の先進文化を取り入れやすかったし
唐代にチベット系とウィグル系国家にボコられて長安も蹂躙されてから後は海側に都が置かれることになった >>773
稲作やったことある?
水の中に足入れて寒いよ
半島のような寒冷な気候で、稲が育ったとしたら
その時期だけは温暖な気候だったことになるけど
サンダルみたいな履物じゃないと、泥の中での
農作業は捗らない
日本人には、サンダルを履き続けた身体的な特徴があるけれど
半島の人にはそれはない
ていうか、寒い地域の靴にサンダルは有り得ないからね
半島において夏が長かったならまだしも
日本軍が占領していったときに稲作を現地の人に無理やりやらせて
それは半島北部だけれど、その時の朝鮮人が、水の冷たさに泣きながら
稲作したのはごく最近の話だよ 鼻梁が高ければ、細くても吊り目にならない。明石家さんまのように。
額が前に出て眼窩を作っていれば、普通は「二重」になる。
額、鼻梁、頬、顎の長さのバランスが恣意的なら、目鼻立ちが「福笑い」になる。
ちなみに、人種や民族の顔立ちの違いは「気温、陽射し、雨風」などの気候の
影響もあるが、それ以外にもまず外見的に自分に似た者群をなしてその中から
さらに自分が好む相手を選んで子孫を残すという繰り返しの結果による。
当然世代が進むにつれ、群ごとの肉体的特徴が際立っていく。
好みや美醜が分かれる場合も多い。
これに文化や生活習慣が加わって。さらに特に身体的特徴が定着する。
正座や胡坐の習慣によって下肢は変形したり成長が妨げられるのがその例である。
これはその習慣を止めたり他との混血によって矯正されることが多い。 >>770
悪いけどチョンチョンいってるそれが何者なのか意味が不明だわ
現代の北朝鮮と韓国だったらその建国の時にそこにいた人らと言うだけで
日本列島にはオホーツクからも大陸のモンゴル人も中国の北方からも南方からも
東南アジアからも絶対入ってるし、その過程で半島に行って戻ってきた古代勢力もいるし
半島を通路に来たものが無いなんてあり得ないから
現代の政治文化的に非常に離れたものだけど、古代で全く違うなんてあり得ないから
もちろんDNAも別ルートで入った系統以外に凄い似てるから >>762
で?
秦と中華人民共和国は別の国ですけど >>776
日本でも東北で稲作がされてますけれども 北海道で作った米が大きく市場に出るようになったのはここ二十年くらい
東北は知らない 秦というのは、中華文明を築いたもともとの民族ではなくて北方系の遊牧民だから。 >>766
おいおい、モンゴルはツングースではないぞ!
ツングースは、 Hunting and Gathering 狩猟採集生活の原始人だ!
もちろん、ツングースは文字を持たない!
ツングースは、文明を持たない。非文明の原始人!
Hunting and Gathering の、人類文明史地図上の空白地帯!
ツングース系エヴェンキ族が、朝鮮半島・満州・沿海州に分布
している朝鮮族のことだ!
モンゴルは、遊牧騎馬民族で牧畜という生産技術を持ち
独自の文字を持つ文明人だ。
モンゴル人が出現するのは10世紀以後だろ、
アジア系としては最初の騎馬民族だった
モンゴルは、アジア人だとは言い切れなくて
白人との混合人種。
モンゴルには、現在でも金髪・青い目が、よくいる。
半分中国人で半分スラブ系ロシア人だな。
実際、マルコポーロも、接見したモンゴル帝国の
帝王カーンが青い目だったと「東方見聞録」に記している。 >>781
いや、日本の話じゃないよ、朝鮮半島の話
チョンのいう、稲作が今の気候なら有り得ない、ってこと
茶葉のようにかなりの南部に限定されるなら、まだ聞く耳持とうか、ってくらい
信用できない
ていうか、靴の話を取り上げてくれよw >>778
自分がいうチョンは、日本を下げようとして
日本に絡んでくる半島の人だよ
ねつ造は、許さない、絶対に!!! >>770
ネトウヨって本格的に頭悪いなw
日本人形が何をモデルにしてるのか分かって言ってるのか?
小さな子供の目は大人より大きいのは当たり前
大人と子供で眼球のサイズは一緒なんだから顔の小さな子供は必然的に大人より目が大きくなる >>136
たまに現れるモヤシ金持ちさんだ
ご健在で何より >>783
西方じゃないの?
都が西にあるから。あるいは西北か
北京に都が置かれる頃は、完全に北方や東北の
蛮族が牛耳ってたね >>787
日本人形は、子供の人形もあるけど
それだけじゃないでしょ、あと子供の目が大きいって
理屈もわからんし、とうとう出て来たな、ネトウヨ連呼
その言葉は、民団新聞に出始めたスヒョン文書の頃からの
言葉だよね、朝鮮人しか使わなかったよ、その頃は >>791
人間の眼球サイズは生まれてからそんなに大きく成長したりしない
幼児の眼球サイズと大人の眼球サイズはほぼ一緒
でも大人と子供で顔のサイズが違うから比率の違いで幼児の目が相対的に大きく見える
小顔でぱっちり目のアイドルもキモデブのおっさんも見えてる面積が違うだけで目のサイズは人間である限り変わらない >>779土人! おまえ朝鮮人だろ、半島へ帰れ!
わが国は、低知能を必要としていない、
ヒッタイトが、メソポタミアのバビロンを征服して
人類最初に鉄の帝国を建設したのが、西暦紀元前1200年頃だった。
秦の始皇帝が、鉄の武器を中国史上最初に使用して
中国を統一したのが、紀元前3世紀頃。
あきらかに中国文明は遅れ過ぎている。
しかもこの秦は、北方騎馬民族系であって、
中国人でもなかった。漢にしても、実際は白人系だった
といわれている。
漢帝国の次の隋・唐にしても、あきらかに西域のトルコ系白人だからな
いうほどでなく、中国というのは文明史的にも
かなり遅れていて、非文明であるということだ。
現代においても、中国て、なんか非文明的で
遅れてるよな! http://webtv.pref.fukuoka.lg.jp/ja/movies/detail/3529
我も負けじと博多人形作家を貼るw 作品はむっちゃきれいだけど製作者の顔とスタイルは超絶日本人だ!
途中で、チョンの嫌う人の名前が出てくるから、火病の人は見ない方がいいかも 目が細いとかパッチリしているとかは
当時の人の美への意識の違いなだけだと思うな
あとは一重の方が強そうに見えるとかさ
日本人のいう(考える)二重って「奥二重」のことだよね?日本人で生まれつきの二重なんて1割みたないんじゃないかな
もちろん奥二重ならいるよね
自分で作っているのもあると思うが >>797
中国は、西方から見れば、とどのつまり日本と同じ
閉鎖空間だからね。それもあって中華、と名乗ることができたんだよ
しかも、今の中国のドラマや一部の映画は、韓国人スタッフと作ってたり
韓国ドラマの完全パクリをしたりしてる
その韓国ドラマも黎明期は、日本の昔の漫画をぱくってたり赤いシリーズをパクってた
何が言いたいかというと国体が大きすぎたら、身動きも遅いってことかな
日本のような小さな国は、アメリカにやられればすぐさまその影響を
全面的に浴びたけれど、韓国もそうだったけれど、
中国みたいに大きすぎると、却って、自分たちの中心が強く長いため
簡単に方向転換できないんだよね
あの支那様が、半島のそれもパクリ請負を更にパクッテるって
本当に驚くよ。あのプライドの高い支那様が・・・
大国過ぎて体が重い、っていいような悪いような、ってことかもね >>798
こんなアニメ顔を導入した博多人形は日本人好みというだけで
日本人の姿の投影じゃないwww 秦が馬車を戦闘に使用したのはアレキサンダー軍の残党だからだろう
彼等は西洋人の系統だと思われる
漢民族ではなくローマ人系統だろう >>799
昔、民俗板で読んだけど、日本は蒙古のせいで?
蒙古襞を持ってない人はいなくて、二重瞼の二重の
線の始まり部分が、どうしても目頭にかぶさるようになってるらしい
それほど、蒙古の蹂躙がひどかった、とその人は言ってた
なので、日本人で、二重瞼の線の始まりが、目頭から
遠く離れた人は、いないはずだそう
モンゴル恐ろしや(その人の説によると) >>802
作家のおばさんが、日本人だからいいんだよ
諸君も、勘違いしては、いけないよ。
まあ、中国史上において、アジア系が主流となって来るのは、
唐の後の、宋の時代だ。
宋の時代になって初めて、中国南東部すなわち現在の上海のあたり
の生産力が増大していく。
この宋との交易に必死だったのが、日本の平清盛だったからな。
日本としては、かなり後の時代にあたる。
まあ 奈良大和朝廷のあたりが、もっとも最初のアジア人の
人類文明史上での活躍だったといえるのだよ!
>>805
何のために貼り付けたんだよ!
ただの作者紹介者じゃねーか、ありがとう
だが理屈としては却下だ 南宋の美術は確かに美しい
北の支那の文化なんか眼中にないほどの絢爛さがある
けれど、北方中国は、それはそれで素朴なんだよね。素朴さの強みもまたあったり >>804
へぇ〜ちなみに蒙古斑なんて言われているあのお尻のアザは
白人や黒人にもあるんだって
要は東洋人は肌の色の関係で目立ってハッキリ見えるだけらしいよ >>799
日本人って基本一重だと思ってるけど
天然のくっきり二重ってそれでも2〜3割ぐらいはいないかな
長友みたいの普通にいるじゃん >>803
アレキサンダー・ザ・グレートが、西域のシルクロード地帯を
征服したのが紀元前4世紀頃。
秦の始皇帝は、紀元前3世紀ごろ。
時代的にも、合致している。
ただ、ローマ帝国のほうは、シーザーが紀元前1世紀だから
それよりも後だからな >>809
蒙古斑ねw そう聞くね>白人黒人
若い人は知らないかもしれないけど、昭和の時代には
顔に薄青い面が広がってる人がけっこういたんだよね
蒙古斑の顔バージョンみたいな
これは、半島の人でも見かけたことあるんだけど
(半島においてでなく、別の地で)
最近見かけなくなった。栄養などが良くなったのか、何のおかげか 兵馬俑すごいからな。日本がどんぐり食ってる時に
あんなでかい像大量に作るなんてすごすぎる 兵馬俑で中東系の別人種なのわかるだろ
現代漢民族は違う 神奈川の大口病院の大量殺人鬼の女も
また見事に一重まぶたでしたね
日本人の二重率は6割
なのに犯罪者の一重率は… >>647
紀元前よりエジプトとインドは季節風貿易をやっていたから
マレー半島、セイロン島までは来ていたよ
インドの先にティーナという国があるとエルトゥーリア海案内記に記されてる 今中国が世界で狙ってる工作活動と同じだよ
相手の数を減らし漢民族の数を増やし乗っ取る
インドヨーロッパ語族の亜種の中国語をモンゴロイドが話してる理由だよ
だから中国語はネイティブがいないと言われる
全員が片言の外国人みたいなんだと >>799
>>810
都内在住だけど
四国九州沖縄や北海道ルーツだとくっきり二重瞼の人は珍しくないね
あと個人的な体感だけど三代以上前からの生粋の東京の人にも多い気がする
だから同様にほとんど一重瞼しかいないような地域もあるんだろうな
時々ここで日本人は一重瞼しかいない、二重瞼は皆整形だとか書いてる奴いるけど
そういう地域の奴かな >>818
>全員が片言の外国人みたい
その割には声でかいし、息するまもなくしゃべり続けるけどな >>1
大した絵心ない奴が二重瞼の人の顔を描いたとしよう。はたして何人が二重瞼まで正確に描く?おそらく100人いたらいいとこ1,2人くらいしか描かんだろう。下手すりゃ誰も描かん
彫刻も一緒だ
話は終わりだ >>814
そういう兵馬俑の写真だけは、日本では公開されてないけど。
しかしその写真の肩のところのつくりを見ると、
内容人物はギリシャ兵でも武具鎧は中国の作とわかるね。
日本では、非常に貴重な写真だ。 >>814
こういう説もあるのか
>紀元前3世紀の中国で、ギリシャの職人が地元の労働者を指導していたかもしれないという。 >>652
朝鮮学校や韓国系の学校では
縄文なんて詳しく教えんだろ
半島出身者は縄文文化の質の高さを
嫌うのが多いからなw 二重がいいっていう文化があれば二重にしただろうけど
当時一重とか二重とかにこだわってないなら描写しないんじゃないか
今の文化ありき >>692
>>338
お前らは間違ってるし
日本人を草食系・魚食系のキャラに仕立て上げて固めるのは間違い
日本人は古代原始から肉食
イノシシもシカもウサギもタヌキもカモも食いまくってた >>832
これは写実性が高いからそういうのも再現するんじゃないかな
履物の裏の溝まで再現してる >>804
蒙古斑なんて今はキムチ悪いだけのガセネタだぞ
人種民族関係ない
青白さは単にアジア人のたんぱく質不足 >>819
飛騨山脈では弥生系がほとんどで一重だらけだそうだ。
飛騨山脈はもともと縄文人の住処だったが、
あとで弥生人が占領したようだ。 >>599
「弥生人自体が縄文人」だからなのよ
半島沿岸部にいて日本に来たのも、それは弥生人以前い数世代前に
半島沿岸部に南から海洋民族として展開植民征服していた、縄文人だから >>837
弥生人いそんな力はない
弥生人は奴隷か売春婦だった
桓武天皇の母親が、半島から貢がれて嫁入りしたそはそういうこと
半島側が弱小で劣等で女を差し出す側だったから >>819
地域じゃなくて劣等感まみれのパンスト顔のチョンだよ
弥生系は大量に奴隷として畿内や関東に連れてこられた格下民族だから 弥生系は速やかに排除すべきなのか
今のどのくらいの日本人が弥生系なんだろうか
怖いなぁ 欧米列強が始まるまでは一重でツリ目が美しいとされてたんだよ 前に日本にいくつか来た時に見に行ったけど
ものすごく大きな体の兵馬俑があった。漫画のような体してた。ボブ・サップを二倍にしたようなやつ。
想像で適当に作ってんのちゃうかとちょっと思った。 >>804
自分は二重が目頭からかなり離れた、平行二重だよ
蒙古襞も、白人ほどじゃ無いけどあまり無い
昔、蒙古襞を学校で聞いて、鏡を見ても何のことかわからなかった
子供には蒙古襞が有って、これのことか!と感動した 一重は寒さのために二重から進化したと、チコちゃんで言っていたよね 一重は劣性遺伝だから、自然に消滅する。
若い世代に典型的なチョン顔は少ない。
典型は東名であおり運転で事故を起こした九州男だな。 >>633
天皇と人民は違うからなぁ
天皇は公式文書で中国語をずっと使ってるから初期は中国語を話していたはず
その後、エリザベス女王がクイーンズ・イングリッシュから平民英語寄りになってる
みたいな原理で日本語をしゃべるようになった(っていうか日本語自体が当時は中国語寄りだったのでは) 項羽が秦兵20万を生き埋めにしたという場所が判明して
遺骨を発掘できれば、DNA鑑定で当時の秦の一般住民の
体つきや顔つきも解明されると思うが…… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています