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それオランダ

3月1日新潮(高山正之から)
オランダは戦後賠償でも十分にいやらしさを発揮した。
当初、紳士面して賠償放棄を公言しながら陰で当時の金で36億円を
取った。 
さらに1991年、訪日したベアトリクス女王が宮中晩餐会の席で「日
本には賠償を払う義務がある」と非礼の挨拶をし、2度目の賠償金
を取り立てた。 

その2年前の昭和天皇の御大喪にはオランダ王室だけが欠席した。 
ちなみに昭和天皇は昭和46年にオランダを訪問されたが、オランダ
人はお車に生卵と鉄製の湯たんぽを投げつけ、植樹された苗木も抜
き折って歓迎した。

そのオランダの新国王訪日を前に先日、外相ティマーマンスが会見
して「慰安婦も河野談話も生きている」と語った。 

朝日新聞が慰安婦の虚構を傚悔したのを受けてオランダの姿勢を語
ったもので、外相は「今後も両国の高官会談では常に慰安婦問題を
提起する」(朝日新聞)と付け加えた。 

新国王も宮中晩餐会の席上でカネを要求するという意味なのだろう。 
オランダ人の祖先が韓国人だと聞いてもそう驚かない

結局、終戦まで寝て暮らしたオランダ人は戦後、日本側の待遇に囚縁
をつけて連合国軍の中で最多の226人を報復処刑した。 

最後に処刑されたのは堀内豊秋大佐。

セレベス島メナドに降下した海軍落下傘部隊の隊長で、逃げ回った現
地司令官F・ティウォン大佐を捕虜にした。 
戦後この男が堀内大佐を偽りの罪で告発し、自ら裁判官になって彼に
死刑を宣告した。 
「罪もないのになぜ死刑か」との弁護人の問いにティウォンは「なぜ
なら彼が日本人だからだ」と答えた。 
高松宮さまがユリアナ女王に大佐の助命を乞うたが、女王は無視し、
大佐は昭和23年9月25日、メナドで処刑された。
ティウォンほどの卑劣漢を他に知らない。

女王のあとを継いだ国王アレクサンダーが先年訪日し、同じ宮中晩餐会
で「つらい歴史を忘れてはならない」と3度目を要求した。