「新聞の鬼」との異名をとった山根真治郎(18
84年生まれ)は、震災から18年が経った1941
年の著書『誤報とその責任』の中で、関東大
震災期の新聞についてこう振り返っています。



「悪質な風説は事変とか争乱とか天災地変の
ような時に多く発生する。大正12年の関東大
震災の時は人心徨惑して風説百出し、さしも
冷静を誇る新聞記者も遂に常軌を逸した誤報
を重ねて悔を千歳に遺した事は今なお記憶に
新たなるところである。いわく在留朝鮮人大
挙武器をふるって市内に迫る、いわく毒物を
井戸に投入した、いわく徳富蘇峰圧死す、曰
く激浪関東一帯を呑む…数えるだにも苦悩を
覚える」