0222名無しさん@1周年
2018/07/11(水) 19:01:50.15ID:EFhQLyJM0マスコミが美化した江戸に戻れるかもね
実際の江戸期は生産地と消費地が分離されて
弘前藩では天明の飢饉で農民や町人の3分の1が餓死したとされてるが
収穫された米が江戸や大阪に送られ換金されてた
弘前藩は多数の餓死者を出した、その年に40万俵を江戸に送っている
仙台藩も幕府への手伝い普請の負担で借金を抱え収穫された米は、ほぼ江戸に送られていた
元禄の飢饉 1691年〜1695年による弘前藩領内・津軽一円の餓死者は20万人にも及んだ
宝暦の飢饉 1755〜1757にかけて東北地方を襲った飢饉。現在の岩手・宮城の両県にわたる範囲で約5万ないし6万人の餓死犠牲者が出たとされる
天明の大飢饉(1781〜89年) 餓死者の数は、仙台藩で20〜30万人、盛岡藩で6万人、津軽藩で8万人余、南部藩で6万5000人、八戸藩で3万人余に及んだ
弘前藩では農民の3分の1が死亡
天保の飢饉 1830年代の天保3年〜10年の連続凶作 津軽藩では天保10年だけで餓死者3万6000人
江戸の町は地方の農民の死屍累々の上で成り立ってただけなのに