遺伝子検査 ルーツや病気、自分を知るDNA検査が大はやり プライバシーは大丈夫か
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■ゲノム人類学 私たちはどこから来たか

 日本人はどこから来たのか。私たちは祖先といわれる縄文人や弥生人の遺伝子をどれだけ引いているのか。
DNAをもちいた遺伝子解析では、個々人の来歴だけでなく、日本人の由来をたどることもできる。

 現代の日本人(アイヌ人、ヤマト人、オキナワ人)のゲノム解析に取り組む国立遺伝学研究所教授の斎藤成也によると、
先住の縄文人のDNAを最も引き継ぐのはアイヌ人。そのアイヌ人と遺伝的に近いのは南に遠く離れたオキナワ人だ。
ヤマト人は地理的には両者の中間に位置するが、縄文人から引き継いだDNAは最も少なく、
3者のなかでは弥生系渡来人からの遺伝的距離が最も近い。
一方、韓国人、北方中国人、南方中国人には、縄文人由来のDNAはほとんどあらわれなかった。

 では、大陸から渡来した弥生人との混血が始まったのは、いつごろなのか。
アイヌ人を縄文系の直系子孫と仮定すると、ヤマト人の場合、弥生人との混血は55〜58世代前に始まった。
1世代を25年ほどとみれば、西暦3〜7世紀ごろになるという。
オキナワ人の弥生系との混血は43〜44世代前、西暦1075〜1320年ごろからと推定されるという。

 一方で、ヤマト人の間でも、地域によってDNAに違いがあらわれる。
都道府県別にまとめたミトコンドリアDNAを解析すると、東京、静岡、愛知、大阪、京都、
福岡など列島の中央軸にそった都府県が、同じ傾向をもつグループに含まれる一方、
沖縄、宮崎、長崎、島根、青森など周辺部の県同士に似た特徴があらわれるという。

 日本人の源流は、旧石器時代に日本に入った人々が先住の縄文人となり、
弥生時代のころに北東アジアからやってきた渡来人が加わったという「2重構造モデル」が定説だった。

 ただ、福島県三貫地貝塚から出土した三貫地縄文人の歯から採取したDNAの解析では、
この縄文人が、これまで想定されていた南方からの渡来とは異なることがわかってきた。

 斎藤はいま、2重構造モデルを拡大した3段階渡来モデルを考えている。
旧石器から縄文期までの渡来を二つの期に分けたうえで、第3段階になる弥生人の渡来を前期と後期に分けるという考え方だ。

 「DNA解析がさらに進めば、よりこまかな日本人の源流がみえてくるはずです」(田中郁也)