関東大震災と不逞朝鮮人の暴虐(ねずさんのひとりごとブログ)

最も早く復旧した東京日日新聞が9月5日付夕刊を発行するまで、
首都における新聞報道は完全に麻痺してしまっていたのです。
このため、地方新聞の支局員が、関東大震災の模様を取材し、
それを地方にある自社新聞印刷所に連絡し、これが各地での号外となったわけです。

「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」
(小樽新聞 大正12年9月3日号外第一)
 
「朝鮮人、各所暴動検束数千名」
(小樽新聞 大正12年9月3日号外第三)
 
「朝鮮人、横浜〜王子放火」
(大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外)

「朝鮮人、爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」
(荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報)

「朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」
(新愛知 大正12年9月4日号外)

「朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」
(名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二)

「朝鮮人、殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」
(福岡日日新聞 大正12年9月4日号外)

「朝鮮人、爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」
(小樽新聞 大正12年9月4日号外第一)

「朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。軍隊が治安維持に出動したため、不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ」
(九州日報 大正12年9月4日号外第三)

「朝鮮人暴挙は完全取締を遂行」
(大阪毎日新聞 大正12年9月4日号外第二)