美智子様が眞子様へ充てた手紙

眞子ちゃんへ
 眞子ちゃんは、ばあばがお蚕さんの仕事をする時、よくいっしょに紅葉山のご養蚕所にいきましたね。
今はばあばが養蚕のお仕事をしていますが、このお仕事は、眞子ちゃんのおじじ様のひいおばば様の昭憲皇太后様、おばば様の貞明皇后様、
そしてお母様でいらっしゃる香淳皇后様と、明治、大正、昭和という三つの時代をとおってばあばにつたえられたお仕事です。
 眞子ちゃんは紅葉山で見たいろいろの道具を覚えているかしら。
蚕棚の中の竹であんだ平たい飼育かごをひとつずつ取り出して、その中にいるたくさんの蚕に桑の葉をやりましたね。
蚕が大きくなって、桑をたくさん食べるようになって桑をたくさん食べるようになってからは、
二かいにあるもっと深い、大きな木の枠のようなものの中に移して、こんどは葉のいっぱいついた太い桑のえだを、
そのまま蚕の上においてやしないましたね。
しばらくすると、見えない下のほうから蚕が葉を食べるよい音が聞こえてきたのをおぼえているでしょう。
耳をすませないと聞こえないくらいの小さい音ですが、ばあばは蚕が桑の葉を食べる音がとてもすきです。

 蚕はどうしてか一匹、二匹とはいわず、馬をかぞえるように一頭、二頭と数えることを眞子ちゃんはごぞんじでしたか?
あのとき、眞子ちゃんといっしょに給桑をした二かいの部屋には、たしか十二万頭ほどの蚕がいたはずです。
眞子ちゃんはもう、万という数字を習いましたか?少しけんとうのつかない大きな数ですが、
たくさんたくさんの蚕があそこにいて、その一つ一つが白や黄色の美しいまゆを作ります。
 きょねんとおととしは眞子ちゃんも自分で飼ったので、蚕が何日かごとに皮をぬいだり、
眠ったりしながらだんだん大きくなり、四回目ぐらいの眠りのあと、口から糸を出して
自分の体のまわりにまゆを作っていくところを見たでしょう。きょねんはご養蚕所の主任さんが、
眞子ちゃんのためにボール紙で小さなまぶしを作って下さったので、蚕が糸をはきはじめたら、すぐにそのまぶしに入れましたね。

蚕は時が来るとどこででもまゆになりますが、まぶしの中だと安心して、良い形のしっかりとしたまゆを作るようです。
まぶしには、いろいろな種類があり、山をならべたような形の、わらやプラスチックのまぶしの中にできたまゆは手でとりだしますが、
眞子ちゃんが作っていただいたような回転まぶしの中のまゆは、
わくの上において、木でできたくしのような形の道具で上からおして出すのでしたね。
さくねんは、ひいおばば様のお喪中で蚕さんのお仕事が一緒にできませんでしたが、
おととし眞子ちゃんはこのまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました。
サクッサクッと一回ごとによい音がして、だんだん仕事がリズムにのってきて・・・
また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんとおてつだいにいらして下さい。
 蚕は、始めから今のようであったのではなく、長い長い間に、人がすこしずつ、よい糸がとれるような虫を作り上げてきたものです。
眉のそせんは自然の中に生きており、まゆももっとザクザクとした目のあらいものだったでしょう。
人間は生き物を作ることはできませんが、野生のものを少しずつ人間の生活の役に立つように変えるくふうをずっと続けてきたのです。
野原に住んでいた野生の鳥から、人間が鶏をつくったお話も、きっとそのうちにお父様がしてくださると思います。

蚕の始まりを教えてくれる「おしらさま」のお話を眞子ちゃんは、もう読んだかしら。
ばあばは蚕のことでいつか眞子ちゃんにお見せしたいなと思っている本があります。
 女の方がご自分のことを書いている本で、その中に、四年生くらいのころ、おばあ様の養蚕のお手伝いをしていた時のお話がでてきます。
まだ字などが少しむづかしいので、中学生くらいになったらお見せいたしましょう。
 この間、昔のことや家で使っている古い道具についてお話してとおたのまれしていましたのに、
暮れとお正月にゆっくりとお会いすることができませんでしたので、思いついたことを書いてお届けいたします。
今は蚕さんはおりませんが、もう一度場所や道具をごらんになるようでしたら、どうぞいらっしゃいませ。
たいそう寒いので、スキーに行く時のように温かにしていらっしゃい。
ごきげんよう
                            ばあば
眞子様