大阪都構想の歴史

その最初は、1953年(昭和28年)12月の大阪府議会「大阪産業都建設に関する決議」で、
大阪府・市を廃止して大阪都を設置し、市内に都市区を設置するとされた

また、1967年(昭和42年)10月に左藤義詮大阪府知事(当時)が
「大阪府を20区にする、現在の大阪の22区を9区にする、衛星都市を11区にして20区にする、そして区長は公選にする。
そして20区になりました場合には、名称は大阪都となるかどうかわかりませんが、
そこから選出したところの議員をもって、区選出の議員をもって区政の参議会というものをつくる」とする構想を持っていたことについて新聞で報道された

また、2000年(平成12年)頃に、太田房江大阪府知事(当時)が大阪府と大阪市の統合を掲げた大阪新都構想を唱え、
2001年の「大阪府行財政計画」に「大阪都」という言葉が表現されている