この人も就く人が麻原でなかったら、身を捨てて人に尽くす有為の人材になっていた
だろう。
15才時の修行の道に入る直前のビデオをテレビで流してたが、15で「他者の苦しみ
を我が苦しみとし、我が苦しみを他者の喜びとする」みたいな事を言ってた。
身を捨てて他人に尽くしたいと思う若者が、狂祖に就いたばかりに真逆にいった。
当人らには矛盾なかったのだろう。罪を生きていても重ねるばかりの人間は殺して
来世で少しでもいい境界に転生させるほうが、その人のためという思考だったそう
だから。
宗教に限らず、何でも原理主義化したりするとこうなる。